垂直落下式サミング

わたしの自由について SEALDs 2015の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

2.9
学生団体SEALDsの活動の様子を撮したドキュメンタリー。国会前や首相官邸前で反体制を叫ぶ彼等の熱意が充分に伝わってくる。若い力。青春を感じる。
SEALDsの面白いところは、国家VS国民という簡略化した対立構造を強調し二者の衝突を演出しているところ。右派・保守系の人たちは、仮想敵を設定して自身の思想を大勢の総意かのような論主に落とし込んで都合のいい図式を作るのが上手いんですけど、左派はそういう感じを作るのが不得手だったので「市民が怒ってる感」出しながら主張をする学生団体に光があたるのは新しい時代を感じた。
彼等にリーダーはおらず、ひとつの団体ではなく同じ主張をもった人が個々人として意見を発信しているという名目で活動しているらしい。護憲派ニューエイジといいますか、若くして政治に興味を持ち自らの意見を発信するのは結構なことだと思うし、彼等に賛同し応援する人も出てくるだろうから継続すべきなんでしょう。デモの度にそれなりの数が集まるんだから意義深い活動だと思う。
かくいう私の政治的立ち位置はと言えば、保守でもリベラルでも革新でも中道でもない、信条も理念も持ち合わせていないインチキ臭い国民だ。普段から偉そうに政治経済を斬った気でいるが、抜いた刀を鞘に納めようとすると切っ先が自分の横っ腹に刺さり大腸を抉ってしまう。そんな風に臓物を垂れ流しながら人生の大半をぼんやり生きてきたので、自分のことをノンポリだと位置付けることすら生意気な気がしてしまう。
そんな前後左右不覚のバカの意見なんて誰も興味なんかないと思うので、安保問題だの九条改正だのについて私がどう思うのかここでは明言しませんし、実際のデモ参加者や、理念をもって彼等の活動に共鳴あるいは批判している人たちは、私なんかより遥かに意識が高く深い見識をお持ちなのですから、これから何が書かれていようとも誰かの思想そのものを非難したり、侮辱しているわけではないということはご理解ください。

まず、はっきり言って首相官邸前に大勢で集まってスピーチをすることは効果的でないなぁと感じた。訴える相手と騒ぎを起こすべき場所はそこじゃない。デモというのは政治家じゃなくて世界に向けて訴えかけなければいけない。安倍首相はそこら辺で騒いでる奴等なんて無視してればいいんですから、主要道路を止めて流通のパイプラインを断って国民の経済活動に大きな打撃を与えるくらいのことをやらないと意味がないだろう。
有名な「アベハヤメロ!」については、私も安倍内閣が大嫌いなので共感はできるんですけど、その後のスピーチ内容については威勢は良いけど5W1Hが不明確で思いが伝わり難いため、せっかく溢れるバイタリティとパッションを持っているのに、何とももったいないことをしているように思える。同じ志を持って集まった仲間には響いても、思想を共有していない人には思いが波及していかないのではないか。
三時間近くあるこの映画をみても、私が知りたかった彼等が活動の先に見据えていたであろう明確な指針がみえてこなかった。YouTubeに転がってるような2015年の記録映像を長尺にして、主要メンバーのバックステージを撮したものを足して繋げただけで面白くない。長いし。この辺りは編集者や監督の力不足なのではないか。ドキュメンタリーとはいえ、ただ繋げただけでストーリーの圧縮もカットの厳選も甘すぎる。
見ていて不思議に思ったのは、現場は思ったより平和で静かだったこと。あれだけの人が集まっているのにデモから暴動に発展しないあたり、みんな本当に真面目でインテリなんだなぁと感心してしまった。デモなんてものは警官と揉み合って逮捕者を何十人も出しながら、機動隊員の服にうんこを擦り付けたりすべきもので、ラップとかコスプレも楽しいけど、石つぶてのひとつもとばないのはなんか面白味に欠ける。どいつもこいつもパリピばっかりでDQNさが足らない。
こんなもんは、犯罪上等・御縄上等で行うべき活動でしょう。他国のデモなんて普通に放水とか射殺とか戦車で轢かれたりとかされるんですから、国が力弱いうちにやっつけてやればいいんだよ。