あああ

羅生門のあああのレビュー・感想・評価

羅生門(1950年製作の映画)
4.7
名作は決して衰えない。

人間の醜さと、その中に光る「それでも人を信じる」という希望を最高にかっこいい映像で描いた映画。傑作!

3人とも殺人事件の尋問なのに「自分が殺した」と言う。
それぞれの発言は明らかに食い違っている。彼らの証言は端的に言えばカッコよく、武士道を感じる内容だった。しかし事実は違う。実際は醜く哀れで悲惨。彼らは共通して自分にとって「都合のいいこと」しか言っていない。つまり、彼らは自分の醜さを隠すために殺人すら厭わなかったのだ。

舞台は雷の鳴り響く羅生門。真実を知った男達はこの世界に絶望する。そんな中聞こえてくる赤子の声。そこで更に世界の残酷さを見せつけられる。善人であろうとした男でさえ罪を犯していたのだ!
静寂の後、罪を犯した男は迷いながらも赤子を引き取ることを決め、坊主から赤子を受け取る。
赤子という希望を抱えて男は雨上がりの道を歩いていくのだった、、、
嵐が過ぎ、太陽の光が羅生門を照らすラストシーンは、まるで絶望の世界のから一歩を踏み出した男の心のようでとても美しかった。


古い映画だから覚悟して見たけど杞憂だった。ちゃんと面白い。
この映画が傑作たる所以はバランス感覚だと思う。映像、アクション性、サスペンス性、そして伝えたいメッセージ。全てがハイレベルで欠点がない。徹底して綺麗で手の込んだモノクロ映像は現代でも通用するレベルだし、殺陣のアクションシーンは美しい芸術品のようで最高にカッコいい。登場人物が食い違う証言をするというサスペンスの手法を上手く映画に落とし込んでもいる。不足のない完璧な映画。

1950年って言うまだ戦後すぐの時代にこんな名作を作れるなんて、人は凄いなぁと素人ながらに思った。



原作の「藪の中」では木こりの証言はなく、つまり事実はわからないままで終わる。その点この映画は木こりの証言が真実に見えるように作られてる。でも木こりの発言は果たして真実なんだろうか?もし真実ならなぜ最初「わからねぇ」と苦悩していたんだろう?事件そのものについて「わからねぇ」ではなく人の醜さについて「わからねぇ」と言っていたんだろうか?でもだとしたら、なんで盗みをした事を隠して証言したのだろう。木こりだって自分に都合のいいようにしか証言していない。その意味では木こりと3人に違いはないはず。もし木こりはラストシーンでも嘘をついていて、赤子の産着すら売り払う男なら!?
まぁ黒澤明がそんな酷い映画を作るとは思えないけど、だとしたらなんでこんな空想をできる余白を入れたんだろう。
あああ

あああ