KUBO

ラプラスの魔女のKUBOのレビュー・感想・評価

ラプラスの魔女(2018年製作の映画)
3.0
ゴールデンウィークは混んでるからどこにも行かない。今日もやっぱり映画館だ(^^)。

「ラプラスの魔女」公開初日の劇場はほぼ女子99%。カップルでもないのに見に来てる男は私くらいだ。東野圭吾のファンなんだ! 肩身狭くないぞ!(自分に言い聞かせる)

さて、原作ものの映画化を見る最近の常で、400ページ超の原作小説を300ページ読んだところでの鑑賞。(この辺まで読んでから見ると、省略されるディテールもわかるし、結末は映画で楽しめるからちょうどいいと思ってる。お試しあれ)

で、映画が始まるやいなや、あまりのスピーディな展開に唖然とする。遠く離れた場所で起こる二つの事件と、その二つが繋がる、本でいうと100ページまでくらいの内容が15分で語られる。おいおい、急ぎすぎだろ。

原作と大きく違うのは、主人公の青江教授(櫻井翔)の事件への関わり方。原作では二つの事件をつなぐ糸口を見つけるのも、そこから学者のくせに首を突っ込んで事件に関わる重要な情報を掴むのも、ぜーんぶ青江教授なのだが、映画ではその重要な役割の大部分を刑事の中岡(玉木宏)に振っていて、青江教授は単なる事件に巻き込まれた狂言回しのようだ。ちょっとな〜。ラングドン教授とまではいかないけど、主体的に事件に絡んでく教授だったんだけどな〜。

で、ほぼ半分の1時間が過ぎたあたりで、私の読んだ部分は終わった。要するに最初の300ページ分が1時間、残りの100ページちょっとに1時間という配分だ。ミステリーとしては思い切ったな〜。

そもそもミステリーというのは、理解を超えた事件が起こり、残されたいくつかの証拠やキーワードから、読者が推理するのが、時にはミスリードされるのが楽しいジャンルだ。にもかかわらず、その一番楽しい部分を誰かにもうわかったこととしてベラベラ喋らせて短時間に押し込んじゃうなんてのは、まるで内田康夫の2時間ドラマ見てるみたいで、なんだかなぁ。だいたい三池崇史はミステリーなんか撮ったことないし、原作ものや企画ものを受けた時は仕事としてやるから情熱感じないんだよな〜。

と、悪口を言っておいて、後半クライマックスの1時間。最近の東野圭吾は「新参者」シリーズの近作でもそうだったけど、ミステリーでありながら親子の話ってパターンが多い。ミステリーを解いた後に、人間の情に訴えるクライマックスを用意しているんだ。そういう意味では、ミステリーの部分をしっかり小説で読んでおいた私にとっては、まだ読まずにとっておいたラストを1時間かけてじっくりやってくれたのは良かった。豪華キャストの面々が、そこまでに至る心の内をぶつけ合うクライマックスは見応えありましたよ。ただ、やっぱり一人称が分散したせいで青江教授の影はどんどん薄くなり、もはや誰が主人公かわからない始末。特に小説では結構名前の出てくる役だったんだけど、映画だけ見た人にはサトエリは誰なんだかわかんないんじゃないかな?

要するに、三池崇史はこの作品をミステリーとしてではなく、親子の愛憎と葛藤の話にフォーカスして作っちゃったのね。おそらく期待してるものとは違うから、批判の方が多いだろうなぁ。

最後にキャストについて。主役の櫻井翔は正直違う俳優にやってもらいたかった。悪くもないけど良くもない。ニノだったらなぁ。そして、広瀬すずも良かったけど、正直この生意気なキャラにはかわいすぎたかなぁ。




帰宅して残りの100ページを一気に読んだ。うん、やっぱり原作の方がずっとおもしろい! 映画にした意味ないな〜、残念ながら。




私のイメージのキャスト案をコメント欄に書いてみましたが、いかがでしょう?
KUBO

KUBO