テテレスタイ

ロスト・イン・ザ・サン 偽りの絆のテテレスタイのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

アウトローな父と、生き別れの息子のロードムービー。
映像が綺麗で思わず画面に見惚れてしまう。ストーリー自体は淡々としているけど二人の感情は画面越しからよく伝わってくる。父と息子の出会いに意味を持たせるためにうまくアナロジーを使っている。

父と息子の出会いから意気投合まで ⇒ 父と母のそれ
父とメアリー(モーテルで出会った女性)の別離 ⇒ 父と母のそれ

これにより、息子は父との旅で、父と母の出会いから別れまでを追体験したことになる。


(父は母が亡くなったのを獄中で聞き、金を借りて不正に早く仮出所)
終盤になって父が警察に観念したのは、娑婆に出てやりたいと思っていたことがすべてやれて思い残すことがなくなったから(息子に伝えたいことはすべて伝えられたから)
そして今度こそ獄中で反省して息子のために真人間になろうと思ったから
だと思う



主人公(父)は自分の不幸は自分のせいだと言っていたけど、本当は生まれてくる時代を間違えただけで、西部劇の時代だったら自分は輝けたと思っている。悪いのは自分の居場所を作ってくれない社会だという考え。昔は生きていくためには勇敢さが必要だったが、今は忍耐が必要。忍耐はプライドを捨てる行為。妻の家に住んで守られることは彼のプライドを傷つけ忍耐を強いた。だから逃げた。でも今度は守る側になった。誰かを守るためならば耐え忍ぶこともできるようになる。守られる側から守る側への転換。それは息子もまたそうで、母の実家を守る使命を帯びた。そして息子はそのために必要なことを父から既に教わっている。この映画はざっくりいうとそういう話。

生活の中で勇敢に生きる必要性がなくなったことが、家族における父親の威信を低下させたってことかな。息子にとって父親という存在は必要か否かという問いかけ。こんなこと書くと怒られそうだけど、商店の店主や銀行の警備員の息子が父親に威厳を感じるだろうか。

しかし、彼らが銃を撃つ姿はかっこよかったりする。平常時の勤務では威厳は感じづらいが、いざ何か事件が起こったときに毅然とした態度で対応が出来たら、息子たちは父親を見直すと思う。

すごい曲解した解釈だとは思うけど、この映画の主人公は彼らに父親としての風格を取り戻させる場を与えたことになる。武勇伝は男を男にしてくれる。でもそんなことが許されるのは創作物の中だけだ。この映画は、もう取り戻すことができない男の(野蛮な)夢への鎮魂歌のようである。そして、この映画の真の主人公は強盗に立ち向かった店主や警備員であり、誰かを守るために命を懸けて戦った人たちは英雄と呼ばれるべき存在なのだと思う。