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寝ても覚めてものtntnのレビュー・感想・評価

寝ても覚めても(2018年製作の映画)
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再鑑賞
初めて見た時、何が何だか意味がわからなかったことを覚えている。
今見ると、強烈に時代性をまとった映画に見えるのは間違いなくて、これは悪口でもなんでもないけど「一昔前の映画を見ている」という感覚がずっとあった。
2人の人物の間に揺れる主人公という「よくある話」と、2010年代の日本の空気(としか言えない)を重ねる/ぶつけるという意味で、実はとてもオーソドックスなメロドラマと言える映画なのかもしれない。
濱口竜介の会話の面白さに改めて気づく。「頭おかしいんか」みたいなどこまでも日常的な言葉が、重要な独白と何の無理もなく共存している。台詞に柔軟な強さがある。
そうした言葉を介して行われる会話劇には、本音を隠して建前を取り繕うという人間の「複雑さ」の遥か先にある面白さがある。なぜなら、演じる、嘘をつく、思ってもないことを言うという行為が、本当にごく自然で、偶発的なものとして提示されているから。偽善や利己主義などの分かりやすい理由などないままに、言葉が動き始める。
この映画に誠実な所があるとすれば、麦を何かの象徴として置いているわけではない所。後半、麦と朝子が辿り着く場所も絶対に彼岸ではない。2人のドラマは、亮平と朝子のそれに比べて遥かに劇的で、ファンタジックだけども、「夢」のような時間としては決して演出されていない。だから朝子は、麦との関係性、及びそれが決定的に影響を与えた他の人との関係性に決着をつける必要がある。東出昌大や唐田えりかを「異物」と評する言説が山ほどあるけれど、そうした性質も含めて2人は映画という地に足をつけて立っている。
『寝ても覚めても』が生まれた/を生んだ世界もまた変容しているのは疑いようもないけれど、恋愛関係の変化という主軸から世界の変化そのものを描く試みについてはまだ考えておきたい。それを、本作独自のメロドラマ的想像力と言ってもいい気がする。
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