otomisan

Naked Singularity(原題)のotomisanのレビュー・感想・評価

Naked Singularity(原題)(2020年製作の映画)
4.0
 アメリカに限らないだろうが司法の世界の一部には「特異点」があって、それは国選弁護人なんかに頼らざるを得ない容疑者たちには「収監」と呼ばれている。
 司法というブラックホールに嵌って、いくら無実を叫んでも、何かとスネに傷あるご仁や密入国とか身分が強固でない人物は、ひとたび収監され弁護人の庇護、例えやる気があるのかないのか知れない国選弁護人であるとしても、そこから遠ざけられてしまうのはとても心細い。そんな心理を突かれて「有罪を認めりゃ2年、さもないと何やかやで5年だぞ」なんて検察側から持ち掛けられたら心がポッキリ折れてしまったりする。
 つまり、彼らにとって「収監」とは、入ったが最後もう出てこれないポイント、これが司法の不公平ポイント、自尊のこころ、弁護力がとみに力を失う先「特異点」というわけだ。

 しかし、司法はほんとうにブラックホールであろうか?
 収監を免れたいなら保釈金を払えば済む事である。そうできれば、司法のブラックホール性は雲散、特異点の横ッ面を札束でひっぱたいて弁護士の応援のもと悠々と無罪立証の筋道を立て、裁判に挑むだけであるが、弁護士費用も払えない人に保釈金何万ドルが払えるわけがない。
 そこで国選弁護人カシ氏によるあの手この手の収監回避策が日々裁判官から蛇蝎のごとく嫌われて、さっさと法廷侮辱かなんかでボロを出さぬもんかと睨まれるのである。
 ただ、それは昨日までのカシ氏の話。

 その日、物理世界では重力で星が崩壊するように、麻薬組織の秘密の金500万ドルの金力で「崩壊」する道を選んだカシ氏はブラックホール的司法に対抗するべく自ら「裸の特異点」となる事を志す。
 それは事象の地平線に覆われていない、すなわち無実の容疑者とともに生きられるようにと積んだ弁護資金兼保釈金原資500万ドルファンド。秘密の麻薬代金をコッソリ横取りして司法、警察、麻薬取締の面々からも秘匿して拵えたそいつを吞み込んで司法界で善悪表裏一体を生きるということである。

 ただ、それらはエピローグを迎えて知れる事である。ドラマの本筋は容疑者に寄り添わない司法に抵抗するカシ氏の日々の徒労と或る依頼人の逃亡共助の容疑で崖っぷちに立たされた事を背景に、別件で関わった依頼人オリビアが知るところとなったある麻薬組織の宙に浮いたカネを分捕る謀議に加わり、遂に弁護士としての真っ正直な態度が「崩壊」し、権力には金力で立ち向かう腹を括る、といってもその金力志望も権力からの保釈金請求に迫られての事ではある。
 500万ドルが何であって、かっぱらう相手と相棒二人が何者かはほぼどうでもいい。金を手に入れるまでの伸るか反るかはドラマのハイライトに違いなく、その中で彼らは麻薬の横取りを図る悪党二人を殺し、カシ氏は罪名を幾つ重ねるだろう。しかし、それらもどうでもいいくらいで、犯罪組織が稼いで次の犯罪のために用意した総額1500万ドルの1/3は堕天使的カシ氏の手で浄められる結果となる。

 これでいいのか?
 殺される二人が我利我利亡者なら、殺す側、相棒の一人もカシ氏と同じ駆け出し貧乏弁護士で今じゃ我利我利人間に違いない。相棒のもうひと方オリビアもこのネタを持ち込んだどん底人間で、このカネで生まれ変わり生き直したいのはみな同じ。
 ひとりでも二人でもこの暴挙は叶わず、カシ氏も我利我利弁護士の悪意とオリビアのみじめで真っ当さを欠いた心に寄り添わなければ自ら標榜する正義の在り方を具体化することができない。
 ふと、カネがあればカシ氏の母親は幼少のカシ氏を米国に残し国外退去に迫られずに済んだろうか、と思う。その問い自体がこの話題の行く先ではないが、マイノリティよりさらに下の階層である密入国者が労働力で頼りとされる米国が政治によって彼らを翻弄しながら制度だけは辛く厳しく向き合ってくる。殺された二人だって、だから賢くお宝を掠め取ってでけえツラした奴らの鼻を明かしてやるんじゃねぇかと言うだろうし、我利我利弁護士もオリビアも同意見だろう。俺らが盗人なら米国自体盗人国家だろと冥土で嗤っている気がする。
 だからその、いいのか?との問いに真っ直ぐ答えにくい。ただ、エピローグのカシ氏の迷いのない保釈金2.5万ドルが不当逮捕の判決を引き出せるのなら、所詮カネは天下の回り物、その天下も常に他者との闘場、有利に戦う事に何の不都合があろう?
 どこかの別世界に「崩壊」しなかったカシ氏が同様の闘場にいるなら、この500万ドルという戦う得物を手にした「シン・カシ氏」をなんと思うだろう。こうして考えに迷うよりよほどましかも知れない。
otomisan

otomisan