Damian

プロミシング・ヤング・ウーマンのDamianのレビュー・感想・評価

4.5
ジェンダーを考えるとき、「女らしさ」の裏には「男らしさ」の問題も潜んでいる。
映画の中での「男らしさ」と言えば白人で、権威を持ち、身体的に秀でてる(イケメンとかマッチョとか)といったステレオタイプな表現も多く、そうしたこれまで「特権」を与えられてきた男たちが女性を蔑視する様子は何度も描かれてきた。
この映画の思わず唸ってしまったところはまさにそこで、これまでのステレオタイプなイケイケ白人男性ももちろん出てくるのだが、加害者になるのは決して彼らだけでは無い。

冒頭の男性3人のやりとりからも分かる様に、どこか慎重で一見リベラルを装っている様な男性(良い男)も、裏では同様に女性の人権を軽視し、自分たちを正当化しようとする。
男性だけじゃ無い。同性である女性だってそうだ。
男性優位の社会に溶け込むため、時にはその悲痛な叫びに気づかないフリをして、思わせぶりなことをする女が悪いのだ、と非難する。
キャシーが制裁を加える男性陣のキャスティングは"映画やテレビなどで抜群の好感度を誇る文化系男子キャラの俳優"に演じさせているというのだから、いかにこの作品が「はいはい最近よくあるフェミニズムの映画でしょ」と、他人事として消費されない事に重きを置いているかが分かる。

そういう自分も、途中までボー・バーナム演じるライアンの無邪気さの虜になり(パリスヒルトンの歌は日本でいう西野カナ的な感じなのかな)、キャシーもようやく自分の幸せを掴めたねと安堵していたのも束の間、映画の衝撃のクライマックスと共に盛大な制裁をくらった。
自分も所詮はリベラルを気取った男に過ぎない気がして、途端に血の気が引いた。

過去の過ちはいつまで咎められるのか、は今ここ日本でも五輪絡みでちょうど話題になっている。
誰しも過ちはおかす。でも、そこに被害者がいる場合、やはり相応の償いは必要だ。
そして、自分や自分の大切な人がいつ加害者や被害者になるかは分からない。

キャシーがラストに送るショートメッセージは、映画を見終えて、再びそれぞれの人生に戻っていく我々への戒めのメッセージにも思えた。

この映画が終わったら、
それで終わりだと思ってる?
Damian

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