ヤマダタケシ

カラミティのヤマダタケシのネタバレレビュー・内容・結末

カラミティ(2020年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

2021年10月 バルト9で

・『ロングウェイノース』同様、父を亡くした(父が力を亡くした)?女の子が、そこで奪われたプライドを取り戻すために男になって冒険する話であったと思う。
⇒動機としては無くなった父の汚名を晴らすというのがあるが、そもそもの冒険心自体は主人公の中にあるものである。
⇒特に今作においては、それが生存するための群れという意味合いも持った旅団という男社会の中の話で、生きるためにそれぞれの役割が固定された社会の話でもあった。その中で自分を男らしさを身にまとう主人公は、単純に男っぽくなりたいからというよりは、その男だけに許されている発言権や自由さを求めてそうなる感じがある(主人公はサムソンが好きなのではなくサムソンになりたい)。さらに言うと、男らしくなる=サバイバル能力が高い事をその社会の中で証明する事であり、それによってある種自分や家族の尊厳を取り戻すものでもある。
⇒サムソンという、ある意味主人公にとっては男らしさのひとつの象徴である存在を追いかけて行くというドラマは、そのまま主人公が男らしさ自体を追いかけて行くような感じであった。
⇒今作が良かったのは、その最終的に主人公を認める男的な社会の在り方が必ずしも良きものとして描かれるわけでは無いというのがある。生き残るための集団の、役に立たないと見下される感じや、そこで自分の能力を示さないとすぐに他の者にとって代わられ(エイブラハムとサムソン、そして馬を下りたイーサン)見下されてしまう。そのため特に男たちは常に虚勢を張らなければいけない嫌な雰囲気があり、前半部の主人公のお転婆さも、例えばじゃりんこチエのように陽気なものに見えないのは、そこで男社会の中に入って行く主人公の振る舞い自体にもある種のヤダ味あったからだと思う。
⇒そして後に出てくる騎兵隊の軍服もそうだが、男になりたい、というか男の許されている自由さが欲しいと思う主人公の視点を通して見る世界には、男らしさの中にある〝虚勢をお互いに張り続ける〟〝強ぶらなければならない〟構造があったように思う。
⇒主人公が、軍服を着ているがゆえに軍人だと思っていた人物がただの洗濯当番だったところにもまさにその空っぽさはある。
⇒そして同時に男らしさによって群れを率いなければならない存在の、能力以上に強ぶらなければならないプレッシャーみたいなものは、実はエイブラハムから感じるものでもあった。
⇒また、ただ男社会のみたいなものを中心に描きながら、同時に西部開拓時代に生きていた様々な人々を描いているのも良かった。インディアンや黒人などが白人の男らしさ中心の社会の中でどのように居たか(相棒の黒人の口から出る「ここは殴られない」のセリフ一発で、主人公がいる旅団や白人社会の生きづらさと同じ世界にありながら、しかし別の辛さがあることが分かる)。
⇒また、サバイバル能力の高さを見せつけることによって男社会に入って行く主人公に対し、地質学によって、資本力によってひとりで生きていける女性として金山の女主人が出てくる。
⇒そこに自分の価値や能力を示さないと権利を認められない社会のキツさも感じた。だが、それは特に西部開拓時代を描く上でのリアリティだとも思う。
⇒線では無く色の面で描かれたアニメーションは一見単純でありつつ、むしろある程度単純だからこそ〝動き〟自体が瑞々しく見えた。特に葉っぱから落ちる水滴など。
⇒馬を乗りこなせるようになった主人公が夜を抜け、朝・遠くに浮かぶ雲を見るまでのシーンはとても気持ちが良かった。

・また子供向け?とするにはキツすぎる、生存に関わる追い詰められた状況下が描かれる感じも共通していたように思う。
・『ミークスカットオフ』『トゥルーグリッド』を連想。
・女らしさからはみ出していく主人公を見る旅団の人々(女性も含む)の、拒絶するような目線を一斉に送る感じがとても怖かった。