カメダリョウ

ドライブ・マイ・カーのカメダリョウのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

とても良い映画。
179分、まったくダレない。

過去に、4歳になる娘を亡くした夫婦。
仲は良い。
一方で、妻は他人とのセックス、いわゆる不倫をする。
主人公である夫は、それを見て見ぬふりをする。

主人公の男は「(妻には)別に男がいた」「それも1人じゃない」と言ったが、「1人じゃない」ことを示す描写はない。
むしろ、「別の男」は1人、と考えた方が自然にも思える。
もっとも、1人かどうかは大した問題ではない。大事なのは、妻は、その若くてチャラい「からっぽ」な不倫相手に、心変わりしていた、ということだ。
セックスのあとに語られる物語が夫婦の絆の証であったのに、主人公には語っていない(そしてわりと膨大な)物語を、その不倫相手には語っていたのだから。

ここで興味深く思ったのは、夫婦の温度差だ。
夫は、妻ほどには、娘の死を悲しんでいないように見える。もちろん、悲しんでいないわけではないだろう。妻と比較すれば、だ。
しかもこれは、夫が妻よりも薄情な人間であることを意味しない。逆に、配偶者を失うことを、夫は妻よりも重大に思っている。

これが一般化できる事かどうかは分からないが、少なくともこの映画では、妻にとっては「夫<娘」であり、夫にとっては「妻>娘」として描かれる。夫から見た家族構成は「本人(夫)-妻-娘」で、妻から見た家族構成は「本人(妻)-娘-夫」。
良識ある男女が営む家族であれば、通常はこの認識のギャップが問題となることはない。しかし、娘が4歳で亡くなるという、通常ならざる事態を経て、認識のギャップは無視できないものとなっていく。
結局、妻が娘の死というトラウマから決別するためには、不倫が必要だったのだろう。
妻から見た家族構成が「本人-娘-夫」であるならば、妻は娘の死をどのように穴埋めできるのか。映画の中でも「本当は子ども、欲しかった?もう一度」という妻の台詞があったが、確かにそれはひとつの解決策になり得ただろう。しかし、その解決策は採用されなかった。そうなると、どうなるか?
「夫-妻-娘」という認識の夫は、娘を失った妻を気の毒に思い、妻を大切にしようと努める。一方で、「妻-娘-夫」という認識の妻は、夫から大切に扱われる度に、娘を失った傷口がうずく。悲劇としか言いようのないすれ違いだ。

人は誰しも、トラウマと言えるような出来事にも、なんとか折り合いを付けて生きていかなければならない。
妻は、不倫(そしておそらくは決意したのであろう離婚)によって、娘の死に。
夫は、愛車を譲ることによって、妻の死に。
ドライバーの女は、外国に移住することによって、母の死に。
三者三様の折り合いの付け方。

折り合いを付けることとは、それを忘れ去るというわけじゃない。
「生き残った者は死んだ者のことを考え続ける」
「そうやって生きていかなくちゃいけない」
折り合いを付け、生きていく。

笑顔になるようなシーンがほとんどない映画だったにもかかわらず、ポジティブな物語だったと思う。