このレビューはネタバレを含みます
2024/02/16
(9本目)
立川キノシネマ
とても面白い映画だった、どこまでが現実でどこからが妄想でとか考えるのも楽しいけど、途中でボウが着てる服、胸に名前が刺繍されてるのだけど入院着のようだった。
入院着だとしたらどこに入院してる?それは、おそらく精神病院だろう、この「ボーはおそれている」は最初から最後まで精神病のボーの妄想なのではと考えるとスッキリする。常にボウが薬を飲まされるのも、ボウの周りに言動がおかしな人達が大勢いるのもそれは病院の中だから?病院の中がボウにはそのように見えているのか?
その他、旧約聖書のヨブの話がベースになっているのも間違いない。神様はヨブの信仰心を試すために、さまざま酷いことをヨブに経験させる。
ボウが出会う森の中の劇団の芝居が、いつの間かボウの物語になる。その中で家族と離れ離れになったボウ、息子たちと再会するが性交渉してないのに息子がいることに気づく。ボウのコンプレックスの一つに性的な経験が無いというのもあるのだろう。
母親の家で、初恋の女の子とのセックスで彼女が死んでしまうのは婚前交渉への罪の意識があって、屋根裏の男性性器のモンスターはボウの隠した欲望の象徴なのでは。
ユダヤ教の人たちにとって、母親は絶対的な存在でその母親からの愛という呪いの物語でもあった。
「ボーはおそれている」はボーの主観だけで描く物語。客観性は無い。ボーの内面が反映された世界。
ボーは遠くまで旅するが何も成長しない。人間はそんな簡単に成長しないし、変化もしない。
ボーは何も乗り越えていない。母親の愛に殺される。水=羊水、ボーほずっと水から逃れることができない、母親の呪縛から逃げられない。
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スラムのような街
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車に轢かれ医者の家へ、頭のおかしな男と自分を嫌う娘。船の夢、恋人と出会う。娘の勧めでドラッグを吸う、娘の死を自分のせいにされる。
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森の中、さすらいの劇団と出会う。流浪の旅を疑似体験する、SEXしていなが息子がいる矛盾
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母親の葬儀。母ではなく、お手伝いさんが死んでいた。恋人とSEXするが彼女は死ぬ。生きていた母親、屋根裏には男根の化け物。頭のおかしな男が男根を刺す。恨みごとを言う母親を殺す。
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ボートで逃げるが、プールの裁判所のようなところにいき、船が爆破して終わる。