ユーライ

弟とアンドロイドと僕のユーライのレビュー・感想・評価

弟とアンドロイドと僕(2020年製作の映画)
4.7
監督の精神状態を心配したくなるような病んでいる感じが好き。というよりこれまで「男らしさ」にこだわってきた阪本順治の挑戦。中年にもなって「僕はここにいるのか」という中学生で卒業するような自意識に悩む姿は、見ていて腹が立つような女々しさがあり、オタク的であり、子供部屋おじさん的な「子供大人」のそれだ。監督の実人生を反映したと思われる切実さは、血の宿命というよりもっと卑近な近親憎悪、ひいては女性嫌悪だが、それは中上健次のようでもある。トヨエツが本来持っている女性的なルックスと佇まいが主人公である彼のナイーブさ、女々しさと完璧に合致していて、私的ベストアクトかも知れない。全編を通して男性が持っている女性的な感性が展開されているが、その裏返しとしての「男らしさ」への固執だとすれば、これは自分事としても考えざるを得ない。タイトルだけ見るとSF的なアプローチを予想させるのだが、アンドロイドを生成する過程からも分かる通り、それは子供の自由研究のような、往年の怪奇映画的なファンタジーになっている。もう一人の自分を作るのは、かつて存在した純真の自分を保持するための繊細な自己愛からだ。最終的に着地するのは「孤独で可哀想な僕を救ってくれるのは無垢なあの子しかいない」というどうしたってオタク的な少女信仰、本当に気持ちが悪く、しかしその気持ち悪さを一蹴出来ないのは、身に覚えのある気持ち悪さだからだ。全編が雨に覆われ、誰もがフードを被っている本心が見えないような息苦しさは彼から見える世界観の表出、自宅でだけ脱いで自由になることが出来る。トンネルも扉もフードと同じ何重にも重なった外界との「殻」のモチーフ。創造主を自らの手で絞殺するのは雨と合わせて『ブレードランナー』だ。何にせよこういう自意識の問題を「究極の孤独」にしてしまう監督は信用に値する。
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