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イニシェリン島の精霊のArataのレビュー・感想・評価

イニシェリン島の精霊(2022年製作の映画)
3.5
前日鑑賞のベルファストに続いて、アイルランドの内戦についての作品を鑑賞。
ひと月遅れで、ようやく文章化。



【あらすじ】
突然の絶交を、受け入れられない男と、納得のいく理由を一切述べずに断固拒絶する男の話。

アイルランドの内戦を、架空の島での架空の人物で語られ、彼らの絶交の記録を通して描いていくと言う作品との事。

ベルファストが、1960年代後半からの北アイルランド紛争だったのに対して、こちらは1920年代のアイルランド内線を描いている。

詳しい経緯は割愛。



【感想など】
・イニシェリン島
架空の島であるが、アイルランド西部、ゴールウェイの先の離島、アラン諸島のイニシュモア島が舞台となっているらしい。


・ジャンル
ブラックコメディとなっているが、流石にブラックが過ぎる。
私にとっては、ちょっと笑えないのだが、アイルランドの人達やこの作品の舞台に縁がある様な暮らしの方々には、笑える内容なのだろうか。
確かに、笑える箇所も無くは無いが、ジャンルをブラックコメディとするならば、あのシーンやこのシーンなども、悪い冗談と言う事になると思うのだけど、冗談だとしても言っていい事と悪い事があると個人的には思っているので、少し受け入れ難かった。
ジャンルを見ずに鑑賞していれば、また違った見方が出来たかも知れない。
情報を入れずに観ておけば良かった。


・理不尽
島に唯一のパブ。娯楽のない集落の、心の支え。
コルンとパードリック、昨日までの大親友が、全く納得のいかない理由で一方的に絶交を迫られる。

コルンからの一方的で理不尽な絶交が、アイルランドの内戦を描いているのかも知れないが、理不尽ながらもコルンはコルンで彼なりの考えがあるのだろう。しかし、私にはそれが見えてこなかった。
その仕掛けが、視聴者への「理不尽さによるもどかしさ」などを理解させる為の演出なのだとしたら、尚のこと趣味の悪さを感じる。



【お酒】
スタウトビール、シェリー酒、ウイスキー、ポチーン。


・スタウトビール
こちらは、パブでみんなが飲んでいる。
全て瓶詰めされたもので、内容量はセリフから察するに1パイント(約600ml弱)と思われる。
銘柄はギネスだろうか。良く見えなかったので不明。

コルンを待つパードリックの空いたグラスなどで時間の経過を表している点も、とても効果的なアイテムとして登場している。
カットの切り替わりで、グラスの中のビールの量の辻褄が合わない場面もあったが、目立たないシーンなのでご愛嬌と言うことで。



・シェリー酒
実際には出てこないが、パードリックの妹さんがおそらく好きなお酒。
パードリックが妹さんをパブへ誘う際、シェリー酒を飲まないかと言い、妹さんもシェリー酒が飲めるならまんざらでは無いと言った様子もうかがえる。
ただ、一言にシェリー酒と言っても、その種類やお味は様々で、彼女が一体どんなシェリーを好んでいたのかまでは不明。
厳格な印象を受けるので、そのままを反映するならドライなタイプかも知れないが、こう言う人に限って甘いものがお好きと言う事もある。
個人的には、後者の印象を受けた。
そして、そんな甘いお酒が出て来ないと言うのは、ストーリーがそう言った展開を迎えないとでも言っているかの様だった。


・ウイスキー
パードリックが絶交中のコルンに啖呵を切る前に、勢いをつけるかの様にあおっている。
銘柄は不明だが、ひょっとするとこのお店にあるパブミラーの銘柄「H S Persse」かも知れない。
このウイスキーは、架空の島であるイニシェリン島のモデルとなったイニシュモア島のあるアラン諸島から、アイルランド本土に渡った土地ゴールウェイの蒸留所で、この映画の舞台の1920年代以前に閉鎖されたとされている。

ここで個人的に注目するのは、ウイスキーのスペル。
パブミラーにあるウイスキーのスペルは、現在のアイルランドのウイスキーで多用されている「eの入った」“whiskey”では無く、スコットランドで使用されている「eの無い」“whisky”となっている。
これには諸説あると言われている。アイルランドでは元々どちらのスペルも存在していたとされているが、同じくウイスキーの生産国で、そのライバル国でもあるスコットランドのスペルとの差別化の為、19世紀になってから統一しようとする動きがあったと言われている。

1979年に、パディと言うアイリッシュウイスキーが、海外市場での混乱を避ける為に「e」を付ける様になり、全てのアイルランドのウイスキーに「e」が付けられる様になったと言われている。
それ以前は、ごく稀に「e」の無いアイリッシュウイスキーが存在しており、このpresseと言うウイスキーもそう言った例外の一つだったのだろう。
スコットランドのウイスキーとは違う事を証明する為「e」を付ける様になったのだが、他のアイルランドのウイスキーとスペルが違うと言う理由で、「e」の無いアイリッシュウイスキーこそが特別と言う噂も広く知られていたらしい。
日本で言うところの、「藤岡弘、」さんや「つのだ⭐︎ひろ」さん「モーニング娘。」さんらの様に、「、」や「⭐︎」や「。」などを名前に加えてみたり、「本気と書いてマジと読む」などに代表される、俗称『と書いて講文』の様な、特別感を出す為にアイルランドのウイスキー業界が執ったセルフプロデュースとでも言えるのだろう。

そしてこのパブミラーのウイスキーの様に、業界全体の動きと反する動きを執る事で、意図したか否かに関わらず、反体制的反骨精神を表現したり、周りには流されないと言う独自性が表現出来る。
それらが消費者の支持を得て、購買意欲にも繋がる事もあるだろう。

拡大解釈をするならば、今作のコルンの様な存在とも言える。
村全体の、何となく仲良くしようと言う大勢の動きに反抗し、しかし確かな音楽の才能から支持する人も集まってくる。
そう考えると、パードリックがウイスキーを煽る様に飲んでいた後、コルンに啖呵を切ると言うシーンも、「ウイスキー=コルン」を一気に片付けて、それで勢いをつけたと結びつけられ無くも無い。


・ポチーン
これは、ドミニクの父が裸で酔っ払って寝てしまったシーンで、その傍らにあった酒瓶。
ドミニクは、それを盗みパードリックと飲む。
字幕では「密造酒」となっていたが、セリフでは「ポチーン」と言っている。
ポチーンは、世界最古の飲用蒸留酒とも言われ、ウイスキーの元祖の様なお酒で、蒸溜や二日酔いなどのアイルランドの言葉から派生した名前だと言われている。

1990年代に合法化されるが、それまでは何百年も密造酒としてアイルランドの市民に愛されていた。
中には、400年続く由緒正しき密造酒メーカーなんかも存在する。
以前、私がダブリンへ訪れた際に立ち寄った酒屋の、様々な銘柄のポチーンが、見事にズラリと並んだ棚は、正に圧巻だった。

作り方は大まかに、ジャガイモ、シリアル、乳清、糖蜜や、何かしらの穀物全般を蒸溜して作られるお酒で、樽で貯蔵する事もある。
岩場の陰や、洞窟、森の中など、人目に付かない場所で作られ、これまた見つからない様に秘密の倉庫に隠したり、中には瓶詰め後に湖の底に沈めて隠しておく、なんて事もあったお酒。

警察官であるドミニクの父が飲んでいる様に、違法でありながらもあらゆる人に飲まれているお酒。
日本で言えば、ドブロク酒が近い存在かも知れない。

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1978年のアイルランドの映画で、その名もズバリの「poitin(ポチーン)」と言う作品がある。
残念ながら国内上映はされていない模様で、このFilmarks内にも存在していないのだが、ご興味ある方で鑑賞の機会があれば是非ご覧いただきたい。
上述した様な、密造の実態がリアルに描かれていたり、あらゆる人達がお酒を欲する姿、それを元に争う様子など、大変興味深い内容だった。
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警察官が密造酒で酔っ払う姿を描く事で、彼の振りかざす正義が、如何に利己的で理不尽で腐敗したものであるかと言う事を表現するこには、とてもぴったりだったと思える。


【総括】
ブラックユーモアの、行き過ぎた表現や、説明のない理不尽な描写などに、かなりの戸惑いを覚える。

お酒の使い方は、とても良い効果をもたらしていると感じたが、私の誇大妄想解釈による効果とも言えなくもない。
他の方の意見も聞いてみたいので、これから皆さんのレビューを読むのが楽しみ。


後味の苦さはスタウトビール、ヒリヒリする状況はアイリッシュウイスキー、甘いシェリー酒の様な展開は決してやって来ず、鑑賞後もしばらく引きずる感覚は、まるで二日酔いをもたらすポチーンの様な映画。


最後に、アイルランドの言語での乾杯の言葉で締めくくらせていただく。


「Slainte/スランチェ!」
(あなたの健康を願うと言った内容の意)
Arata

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