被写体に触れようとした結果 自分の闇に向き合わなければならなくなるインセル。
被写体としての自分がダメだから、映画を撮るモノとして他人をコントロールしようとする。というのは、多少こじつけ感はあるけれ>>続きを読む
視聴者を一切信用してないのか、最初に主なテーマをガッツリ説明してから"映画"を始める変な構成。現実の醜悪さ、美しさを含む複雑性は、それぞれが(良い意味でも悪い意味でも)内面化して生きているハズなのに、>>続きを読む
"ファム・ファタール"の本人にとって、ソレは"ファタール"でも何でもない というか、ファムファタという言葉は基本的に、近年では、その対象を把握してコントロールしたい男性の八つ当たりとしか使われていない>>続きを読む
いい歳して銃で遊んでるジジイなんてガキか馬鹿かキ○○イしかいない というのを ソレを理解してるオジサンが描くのに、微妙な図々しさを感じる。別に自覚できているからと言って、オジサンが周りに迷惑かけさせケ>>続きを読む
地獄への道は割と元から開けてる というか、無邪気な行いから いとも簡単に地獄へと突き進んでしまう。だから、"クリスチャン"は完全にマヌケとして描写され Burzumの神格化を徹底的に否定する。"アマデ>>続きを読む
自分が過去に仕掛けた波状攻撃(クソ男)によって崩壊していく精神と日常。ソレを1人ずつ処理していったとしても 自分だけは処理できない のは確かにそりゃそう。ある意味 最後の処理も合理的?
例えば、今現在でも神や精霊、祖先から「選ばれた」人々は、自分がなぜ選ばれたのか、なんでソレと向き合って人生の歩まなければならないのか 多くの悩みを抱えつつも神との関係を築きながら生きている。とする>>続きを読む
自己犠牲でDV父を壊す 韓国映画曰く 韓国における家父長制は本当に酷い。でも自己犠牲だって身勝手じゃ?「自己犠牲」で何かを変えれるのは男だけ。
ちゃんと自分で立ち向かわなければ、あっけなく人生の大切な時間は赤の他人の為に費やされる。妻の母親が見せる表情は アンドリュー・ヘイの"さざなみ(45 Years)"のラストシーンに匹敵する程怖い。>>続きを読む
映像と録音から真実を見つけ出すことが出来る という勘違いの中でしか生きられない現実。
ラース・フォン・トリアー作品とかは特によくあるけど、作品の登場人物の言動やストーリーを その作者の現実として 本>>続きを読む
第一部より植民地主義のテーマが薄れていながらも、問題をクローズアップ、リアルを見つめる映画 というよりは 過剰な暴力や残虐な描写から苦しみを見てる。
ただ存在しているリアルを 肯定も否定もせず描く...というよりは、全力で肯定と否定を同時にしている様な印象。セデック族の伝統を今この場所からジャッジすることは難しいと思うけど、少なくとも、"文明"によ>>続きを読む
ポスターにもなってるダンスのシーン、アップテンポな曲で激しく踊る"妻"に一緒に踊ろう と誘われた"夫"は、立ち上がるも踊らず 無言で演奏者の男性に目線を向ける。すると目線に気づいた奏者は 演奏をスロー>>続きを読む
ヒトの本当にグロテスクな部分へは、実際にその場で遭遇し ソレを見てきた者以外に気づけない。ショー(映画)として人間の醜悪さを見つめる。どんな事でも所詮他人事。
家父長的な社会の中で 女性が"大人"になることも、人々が戦争に加担することも、日常を生きる中で 静かに自動で組み込まれていく。日本の教育における「戦時中は酷"かった"よね〜」という語りへの危機感。今は>>続きを読む
未亡人は未亡人らしく という社会の締めつけをぶち壊す為に ケネディの葬式の その行進の瞬間だけ、確実にアメリカ合衆国のトップに立つジャッキー。ただケネディという個人が存在したこと ホワイトハウスでのジ>>続きを読む
自分の罪にも他人に対しても向き合っていない父親 形骸的な家父長制(のような何か)以外にまともな繋がりを持っていなかった家族が、浅野忠信の一撃で、古舘寛治が言うように ようやく家族になる... という展>>続きを読む
日本では 男性が パブリックな場所で性欲を開き散らかすコトに対し 誰もがどこか容認している、許しすぎている。ずっと前からこの風潮は気持ち悪いと思ってるけど、今作は その日本人男性の軽すぎる性欲を利用す>>続きを読む
あまりにも露骨に王室を破壊するハブロ・ラライン、大好きな映画 と言いたいとこなんだけど、正直ダイアナの心情も周りの登場人物の心情も、全て端から端までセリフでミッチリ説明してくるのは流石にやり過ぎだと思>>続きを読む
ルールの多い楽園はルールを破って楽しむ。子供の成長物語の様なモノが映ったと思ったら、痛々しいナンパやホモソコミュニケーションを露呈する男共が映る、究極は実質パパ活の様な事をしたと言い訳しながら話すジジ>>続きを読む
再鑑賞
こちら側から見て違和感を覚えるようなことでも 当事者にとってはソレがリアル。という 当たり前と言えば当たり前な事を"映像"に残して確実にする。その作業に危険性が全くない と言い切るのも違うけ>>続きを読む
この映画のあらすじを聞いた時 殆どの人は、SNSで話題になっているように、まさに「アトランタ」の様な 皮肉が効いた毒のある楽しいコメディを想像するだろうし、自分も想像した けど、この作品は全くもって違>>続きを読む
暴力的な性欲、哲学と文学、陰謀論 あと冷笑的なユーモア以外に何も武装してないデヴィッド・シューリスの放浪 というか ノストラダムスの大予言を信じて世界が終わるだの人類は腐った卵だの言いながらも、自分も>>続きを読む
カメラは完全に「カメラ」として存在し、通行人は撮られてる事に気づく すると気まずそーに目線を避ける、実際に街中で撮影が行われてたら 自分も同じ行動をとると思う... そのまま街を撮り続け、パート1はじ>>続きを読む
創作へ100%のファンタジーを求める人間に対し、強烈な批判と冷笑を叩きつけるような映画。ゆっくりとカメラを民衆の中に溶け込ませて、現実と映画の境目を消し去ったところに差し込む地獄の罵り合い 人間のしょ>>続きを読む
どんなに青春や成長の物語を描いたって、社会や未来が腐ってちゃどうしようもない という話を 結構若い世代の段階から描く。
物理的に分かりやすい水が無くなると、即座に体液や青色として画面に登場する徹底的な水による支配。○の性欲なんて考えたくもないけど、確実にそれが存在するという嫌な事実。地味に医学から溢れた人々のリアルを描>>続きを読む
与えてもらった愛を無下にして背伸びし、自分に相応しくない恋をしようとした結果... 前衛的?というか革新的でカッコイイ演出をバックに、語ってるストーリー自体は結構臭いというか、男の理想かつ勝手な恋愛的>>続きを読む
自国(フランス)の政治性に"巻き込まれ"、そこから逃げようとしても更なる政治性に襲われて逃げることが出来ない。当たり前だけど、人間は政治から逃げることなんてできない、ノンポリ(のつもり)で生きていくな>>続きを読む
早漏?の男が青年に変化し、デヴィッド・リンチお馴染みの男性的な暴力への恐怖、成長する中で 自分が暴力を身につけなければいけないこと(実際はそうでも無い)への恐怖が描かれる。ブルーベルベット→ワイルドア>>続きを読む
ぶっ壊れた社会に対抗するためには、泣きながら地道に諦めず 少しずつでも行動し続けるしか無い という絶望。対抗し続ける者へ、どんなに周りが「映画」を始めとする何かを使って賞賛したり、褒めたりしても、多分>>続きを読む
コーエン兄弟はこの世の不条理の中に登場人物を放り込み 脱出できない様を何度も何度も描いてるワケだけど、今作はまさに、(コーエン兄弟には)この世界の前提として 何千年も前から存るユダヤ教こそ、神の存在こ>>続きを読む
この社会の不寛容さに最大限の地獄でお返しする、アリ・アスターが今作を作る上で大きく参考したとされる 「あなたの死後にご用心!」の構成がそのまんま登場し、あの映画が主張していた「知能が低いヤツ、臆病なヤ>>続きを読む
自分の人生には真剣にならず、他人の人生に異様に真剣になることって普通に怖いし、(わざわざカーテンが劇場のように演出されてる)裏窓から何かを見つめ続けるのって 結局 視聴者がしている事すらも一種の現実逃>>続きを読む
創作が現実に及ぼす影響の恐怖を描きながらも、そのメタ的でちょっとナルシストっぽい構成も、モンスター造形の徹底的なこだわりも、全てが一周まわってラヴクラフト含む創作への愛にしか見えない。ジョン・カーペン>>続きを読む