モモモ

窓ぎわのトットちゃんのモモモのレビュー・感想・評価

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)
4.4
ここ数ヶ月、立て続けに「戦中・戦後」を舞台にした日本映画が公開されたが、個人的には本作がナンバーワン。
顎が震えるほど映画館で泣いたのはいつ以来だろうか。
前評判の高さで上がり切ったハードルを軽々と飛び越えていく真摯的で寓話的に「死」を描く大傑作。
瞼や唇に血色が通った大衆向けではないキャラクターデザインの登場人物が「アニメーションだからこそ」と「実証主義的」な両輪を兼ね備えた動きを見せた冒頭から襟を正して観る事になった。
「この世界の片隅に」をはじめて映画館で観た時の衝撃、再び。
トットちゃんの口調(そりゃ黒柳徹子がそういう口調ですもんね…とは理解しつつ)、個性を認めて決して否定する事はない理想郷の様な学校、富裕層の家庭環境…と言った諸要素から「アニメーションだからこそのファンタジーだな」なんて斜に構える自分が映画の前半戦まではいたのだが…そうした要素は現実をまだ知らない万能感に溢れた「少女時代の黒柳徹子」から見た世界を観客に追体験させてくれるのだと気付いた時、その志に頭が上がらなくなってしまった。
現実が、戦争が、少女の視点にも残酷に食い込んでいく中盤以降の展開と、ウンコを漁るトットちゃんに対して「否定はしない」が「汚い」とは思っているであろう事が校長を演じる役所広司の口調から、意図せずとも心ない発言を滑らせた学校の先生が怒られている居た堪れ無さから、戦争の拡大に恐れを抱き震える父から、激昂して物を投げるが子供には優しい作曲家から「ファンタジーではない現実」を感じ取る事が出来る。
大人も子供も白か黒ではない。
多面的で灰色な部分を描き切る事で血肉が通る。
ヒヨコを欲しがって娘に対しての父の静かな説教。
アニメ的ではないグチャグチャの泣き顔でグズるトットちゃん。
このシーンでふと自分の父と母を想ってしまった。
物語が進むにつれて少女の世界に死が、戦争が忍び寄り、そして現実がファンタジーを覆っていく。
顔馴染みのおじさん駅員がある日ふと消えた時の、兵隊になろうと子供が無邪気に発言した時の、血の気が引く感覚。
西洋文化を取り入れた富裕層家族が貧していく無情。
うんと大きくなったら又会えるよね、その時は足が治ってるといいよね。
そんな優しく無邪気な言葉を呟きながらも、トットちゃんは理解しているのだ、死の先には何も無いことを。
式場から走り出したトットちゃんを待ち受けるのは「死地に送られる兵隊達」と「負傷した者たち」と「遺骨を抱く者」。
待ち受けるのは無謀な作戦での無惨な死と、全体主義と、貧困と、敗戦だ。
それでも少女は生きていく。理想郷が燃やされようと。父が戦地に送られようと、生きていく。
有り体な言い方だが、小学校で教材にして欲しいオールタイムベストアニメ映画の新たな一作。
君は本当は良い子なんだよ。
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