パイルD3

アルプススタンドのはしの方のパイルD3のレビュー・感想・評価

5.0
「水深ゼロメートルから」が制作されたのは、「アルプススタンドのはしの方」という演劇戯曲の映画化が、想定外のロングランを記録して大ヒットしたという実績によるもので、これは紛れもない傑作だった

ここに出てくる高校生たちは、心の奥が羨ましいほど涼しい

年齢を経た大方の大人の心の奥には、こんな領域はとっくに消滅しているし、ぬるい泥水が流れているだけだ

その分、記憶のはしの方に僅かに残っていた熱いものが胸にグイッとくる

日本映画のオールタイムベストを自分で選ぶなら、タイトルが浮かぶ一本
それくらい見せ方とセリフ劇のクオリティは高いし、明らかに日本映画の新たな機軸を生み出そうとするムーブメントがあった

逆に言えば古いシネマトゥルギーの皮を被った層には理解し難いスタイルかもしれないし、そこに風穴を開けた作品だと言える

《アルプススタンド》
甲子園球場発祥の外野席と内野席の境目にある、今は一般的な呼び名となった“アルプススタンド“の、更に一番端っこ上段エリアが主な舞台

演劇で言う一幕もので、元となる戯曲は一幕一場〜三場で書かれていると思うが、ほとんどその場所でストーリーが展開するワンシチュエーションスタイル

《リアクション芸》
とはいえ映画なので、短いスキットの場面転換はあるが、カメラは一度も野球の試合風景を映すことはない。人物らの表情と、歓声で実況をイメージさせる見せ方を貫く

コメディに多用されるリアクションだけ見せる手法に近いが、強気で演劇色を押し出してくる
安易に既製の映画作法に迎合しないことで、印象深い世界観を作り出している


【アルプススタンドのはしの方】

“県立東入間高等学校硬式野球部“の垂れ幕があるように、夏の甲子園一回戦の応援席には
ブラスバンドの鳴物応援が響き渡り、生徒やPTAが席を埋め尽くして声を張り上げている

《登場人物》
野球を応援しながら、そのはしの方にいる野球の知識ゼロの高3演劇部女子2人(小野莉奈、西本まりん)、成績優秀な生真面目な制服女子(中村守里)、元野球部の気さくな同級生男子(平井亜門)といった4人が、試合を見ながら雑談風の会話を始める

スッとカメラが引いて、バラバラな位置の4人をとらえたところに小さくタイトルが出る

これが見事にキマっている

部活、進学、恋心に至るまで、各々が抱える悩みや想いが揺らぎながらも徐々に見えてきて、試合の進行と共に4人のキャラクターがくっきりと浮かび上がって行く

弾みをつけるためにと言うより、かき混ぜているようながなり声で、もっと声出せー!と絶叫しながら生徒を囃し立てる茶道部顧問の英語教師(目次立樹)と、ブラスバンドのバンマス女子(黒木ひかり)が部分的に絡む構成も上手い

ラストの切り取り方は「水深ゼロメートルから」と同じく、絶妙な呼吸を見せる

《野球と演劇》
「青春て?」
「甲子園は青春なんじゃない」
「演劇は?」
「…どーだろう…」

青くさく聞こえるセリフのやりとりだが、実はここに作り手の想いと作品の主題が隠されている
華々しい甲子園を目指す高校球児の姿は青春に思えて、演劇という言わばストイックな芸術に没頭する姿は、青春とは思えない気がする…果たしてそうなのか?

これはおそらく高校生当時の作者の自問自答でもあったのだろう、動の野球と静の演劇の対比が、ドラマにふくよかなイメージを与えている

《青春》
しかしながら、青春というのは、当事者にとっては言葉ほど輝いているわけでは無い
それは恥ずかしく、みっともなく、答えも見えず、意味もなく苛立ち、意味もなく焦り、自分と人を比べ、理解してやらないくせに理解を求め、無駄な秘密を抱え、日々迷いばかりが増えて、ひたすら身悶えしながら生きている時期だと思う
青春は、過ぎ去ってしまわなければ見えてこないものばかりをいたずらに吸収してしまうものなのだ…

やがて
それらに対して理解が始まる時こそ、青春が終わる時だと思う

…と、青春から遠退きすぎてそんなものがあったのかさえもおぼろげな自分なりに、演劇風な注釈で締めておきました


◾️雑記
《私にとってのはしの方》

1人で映画館へ行く時は、最後尾のはしの方とか、比較的後部のシートを予約しますが、コミュ障や厭世家なのでは無くてですね、これは涙腺決壊対応で、いつでも余裕で涙を流せるためのすみっコぐらしシフトです

言うまでも無くこの作品、わたしの心にはぬるい泥水が流れているせいで、あっさり涙腺はやられました
パイルD3

パイルD3