きの

生れてはみたけれどのきののレビュー・感想・評価

生れてはみたけれど(1932年製作の映画)
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1932 昭和7年公開
松竹蒲田撮影所で撮られた小津安二郎のサイレント。

戦前の暮らしに興味があり映像資料感覚で視聴。

サイレント時代に日本にこんなに完成された文体の作品があったのか!!とびっくり。

家でひとりで観ていて思いがけず声出して笑ったり泣いたりしてしまった。



泣き疲れて寝た子供達の顔を見ながら

「こいつらも一生侘しく爪を噛んで暮らすのか」

と言った時の父の表情が、「雄呂血」でのバンツマのようなニヒリズムに侵された笑みではなく、現状にとどまりつつもそれを肯定も否定もしない諦めた笑みであるのがとても印象的だった。

続く

「俺のやうなやくざな会社員にならないでくれなあ」

という台詞にも、願望ではなく反語的なニュアンスを感じて胸が苦しくなる。

とどめに、その後また日常に戻っていく様が何となく「希望」めいて描かれていることが惨めで悲しくて泣いてしまった。

この世に”外”はない。
オルタナティブな生もない。
与えられた環境を否定も肯定もせず、諦めて生きていく。
悲しく愛しい可憐な庶民の姿。

そして、そういう世界観に触れて感動して泣いてしまう自分自身。

腹立たしくやるせない。



現状への諦めみたいのが前面に押し出されているのは1931年に撮影されて1932年に公開になったというのも影響しているのかな?

この頃は満州事変による軍需景気などによって1920年来の慢性不況が緩和されつつある時期である。

岩瀬彰『「月給100円サラリーマン」の時代:戦前日本の〈普通〉の生活』(2017、ちくま文庫)によるとちょうど公開年である1932年の春くらいから雇用が安定しだし、左翼系の書籍が売れなくなったという記述がある。

本作のロケ先の小学校にも「爆弾三勇士」(第一次上海事変で亡くなった3人の日本兵を賛美するもの)の額が掛けてあるのが不吉だ。

諦めが習い性となり、体制に組み込まれ保守化し、右傾化に抗わず、やがて第二次世界大戦に従軍していく…という兄弟たちの未来を暗示しているようだ。

せめて出征先で「大将」と「中将」になれたのであれば良いのだが。



もちろん現代劇で体制批判をすることは検閲などがあり難しいことはわかっているけど…そもそも小津安二郎の作家性を知らないので的外れなことを言っていると自分でも思う。でも、あまりにも強すぎる諦観にモヤモヤと考えてしまって。



主人公の兄弟は今でいう「親ガチャ失敗」なのだけど、この時代の父親は法律で権威が付与されていて(家父長制度は1947年まで)またそういう幻想が実際に有効だったのか、キミのお父さんもボクのお父さんもみーんな偉いよネ、みたいなところに落としているのが現在の感覚と違っていて興味深かった。



ちょうど私の祖母は子供たちと同じくらいの生年(突貫小僧こと青木さんが祖母の3つ上)で、東京の郊外で暮らすサラリーマン世帯の核家族だったので、祖母もこんな生活をしていたのかな、などと想像しながら楽しんだ。

ほかの戦前の現代劇も何作か観てみたいと思う。



メモ

いろんなシャツの襟があってびっくり(会社にウイングカラーシャツ!!)す
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