Arata

ゴジラ-1.0のArataのネタバレレビュー・内容・結末

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

2週間程前の深夜2時過ぎ、ミッドナイト上映にて鑑賞。

ゴジラ作品は、私が20歳頃に一通りを鑑賞。
当時レンタルビデオ店に並んでいた作品などを片っ端から立て続けに鑑賞し、その後は未見の作品を発見したり近年発表の作品が出る度に都度鑑賞、先程インターネットで調べてみると、アニメ版のゴジラ3部作とモンスターバースシリーズの「ゴジラ対コング」が未見だったと知り、近く鑑賞したいと考えている。
また来年は、モンスターバースシリーズの新作も公開となる予定らしく、こちらも見たいと思う。


個人的には、怪獣プロレス映画としての路線や、ゴジラがヒーローとして扱われている方向性の作品も、それなりには楽しめるものの、初代の『ゴジラ(1954)』で表現しようとした、「核兵器の恐ろしさ」、「力を力でねじ伏せる構造の危うさ」と言った、戦後の日本と言う敗戦国が感じていたであろう、世界各国の核保有などによるパワーバランスへの疑念などの恐怖を具現化した『ゴジラ』と言う表現が、最も重要な要素であると感じている。

今作は、初代ゴジラよりも時代設定が古くなっており、初代制作に至る直接の要因とされている「ビキニ環礁での第五福竜丸被爆事件(1954)」こそ起きていないものの、同じくビキニ環礁での核実験「クロスロード作戦」を取り上げている。
やはり、核実験による恐怖と言うものが、ゴジラと言う形で具現化され、それが人々を恐怖に陥れると言う構図が、大変分かりやすいメッセージで表現されていたのが、とても素晴らしいと思えた。



【あらすじ】
第二次世界大戦末期の1945年、戦闘機の修復場の役割を果たしていた日本の大戸島(架空の島)に、神風特攻隊の任務に恐れをなして逃げ出した敷島少尉が、戦闘機の故障と偽り着陸する所から物語が始まるのだが、その夕に深海魚の大量打ち上げと共に、島に古くから伝わる「呉爾羅(ゴジラ)」と呼ばれる怪物が出没し暴れ回ってしまい、基地の隊員のほとんどが無惨な最期を遂げてしまう。

命からがらに生き残った敷島は、そのまま終戦を迎え本土に引き上げてくるのだが、自らの勇気の無さにより大勢の味方を死なせてしまった事、ゴジラへの恐怖、更には神風特攻隊から逃げてきた事への負い目などもあり、「戦争PTSD」と思われる症状に悩まされながらも、元来優しい人間である彼は、闇市で出会った典子と言う子連れの女性を助けて共に生活を送るようになり、自らを取り戻そうともがいている。

そんな暮らしを送っている1947年のとある日、大戸島で見たあの怪物「ゴジラ」が日本に上陸し、敷島は仲間たちと協力し合い、ゴジラ退治に臨む事になるのだが、自らのけじめと称し、最も危険な最前線の最重要任務を果たそうと奔走する。


ゴジラ退治は成功するのか?、日本はどうなってしまうのか?、敷島をはじめ典子やアキコ、それに仲間たちの運命は?、そう言った事を、ゴジラと言う絶望的な恐怖を目の当たりにした人間たちがいかにして立ち振る舞うのか、ゴジラを通して描く極限状態のヒューマンドラマ。


※以下、ネタバレ含む。


【感想など】
・タイトル
ゴジラ−1.0(マイナスワン)は、初代ゴジラが1954年と戦後10年弱での公開で、戦争でゼロになった日本が、復興を目指して積み上げてきたものを、ゴジラによって再びゼロにされ振り出しに戻ると言った、「ゴジラ=戦争、兵器」の恐ろしさを表現していたのに対し、今作は1945年の戦争末期から始まる物語の為ゼロからのスタートとなり、そこにゴジラが現れ街を破壊する事は、マイナスとなるからなのだと言われているが、まさにその通りだなと感じた。


・スタッフ
監督は山崎貴氏で、「白組」制作のVFXの映像技術がとても素晴らしく、大変に迫力のある映像。
やはり伊福部昭氏の音楽は、ゴジラには欠かせない。


・キャスト
主演の神木隆之介くんや、浜辺美波さんも、素晴らしいが、安藤サクラさん青木崇高さん佐々木蔵之介さんら、脇を固める俳優さんがまた素晴らしかった。
特に、青木崇高さん演じる整備士の橘の存在感が個人的には印象深い。


・協力し合う事の大切さ
金属に反応して爆発すると言う、海中に残された機雷の撤去を行なう為、木造船で海に出るのだが、船が2隻1対で行動を共にすると言う方法や、駆逐艦がこれまた2隻1対でゴジラに急潜水&急浮上装置をくくり付ける場面など、協力し合う事の大切さを描いたシーンが多い。

空襲の最中、見ず知らずの赤ん坊を託され奔走する典子を、赤の他人の敷島が面倒を見て、神風特攻隊の帰還兵である敷島を、不名誉と言う理由で蔑視をしていたお隣さんの澄子が、育児の為に上等な米を譲ったり、留守中の子守を引き受けたりと、家族では無くとも助け合う事の大切さが沢山描かれている。

一人一人は小さな存在でも、協力する事で大きな目的を達成出来ると言う事を言い表している様だった。

敷島がいくら腕のいい飛行機操縦士でも、橘の様な腕のいい整備士が居なければ飛行機は飛べないし、山田裕貴さん演じる小僧こと水島率いる小さな船でも、沢山集まれば駆逐艦の力になる事が出来、見事本懐を遂げる事だって出来る。
また、国や政府が動いてくれなくても、大きな力を持つ海外列強の協力を得られなかったとしても、一人一人は決して絶大な力を持つ訳では無いかも知れないが、民間人であったとしても大勢の人数が集まれば、運命を変え命を守る事だって出来るのだと言っているかの様で、他人任せにしてはいけない、だが独断で身勝手に動いてもいけない、と言うメッセージを感じた。


・ワダツミ作戦
ワダツミは、「海神」とも表記される日本の神話に登場する海の神様。
ゴジラを海の水深を利用して、その水圧によって倒そう、海に返そうとする作戦名。

船や飛行機、急潜水&急浮上の為の道具などは使用するが、兵器による砲撃などで倒すのではなく、自然の力を利用しようと言うもの。

超音波を利用し、火山の力でゴジラ退治を試みた1984年ゴジラの、「核兵器がもたらす恐怖を制するものは、核をも凌ぐ強さの兵器だけでは無く、最も偉大なものは自然、地球である。」と言うメッセージの継承だとも思えた。

その際、吉岡秀隆氏演じる野田が話していた、過去の争いによる犠牲者を出す戦い方が過ちだったとする発言や、誰1人犠牲者を出したく無いとする言葉がとても印象的。
それまでのストーリーで、神風特攻隊を死への恐怖などから逃げ出した事による負い目を抱えて生きる敷島が描かれているので、その言葉が大変に心に響いた。
これも、『争いには犠牲が付きもの、力を持って力を制する、力の強い者が上に立つ、屍の上に平和が訪れる』とする嫌いのある、この世に存在するあらゆる争い事を否定し、そんな事をしなくても平和な世の中は手に入れる事が出来ると言うメッセージ。
「犠牲を伴う戦いは、過去の過ち」と明言しているが、作品の設定年代である70年以上前の時点で既に明らかになっているはずの事に、現代においてもいまだにその様な過ちが無くなっていない事への嘆きとも感じた。

自らが命をかけて何かに臨む事は素晴らしいが、自己犠牲のヒロイズムは過去の産物であって、死んでしまってはまるで意味が無く、生き残ってこそ意義あるものなのだと言う普遍性を感じた。

また、初代ゴジラで、原爆水爆をも凌ぐかも知れない恐ろしい兵器「オキシジェンデストロイヤー」を開発した芹沢博士が、自らの命と引き換えにゴジラ退治の最前線へ向かい、2度と恐ろしい兵器が作られる事が無い平和な世の中が訪れる事を願ったのに対し、今作では生き残ってこそ平和な世の中に意味があるのだと言う強烈なメッセージとして、橘は敷島の乗り込む戦闘機に脱出ポッドを新設したのだと感じた。
戦時下では、神風特攻隊から恐れをなして逃げ出し、ゴジラ初登場の大戸島でも臆病な行動をした敷島を軽蔑していた橘が、戦後の復興の中で、生きる事の大切さに気付き想いを改め、パラシュートでの脱出が成功した敷島の生還を心から喜んでいると言う描写が、とても印象的だった。



・G細胞
砲弾などを受けても、一瞬で回復する能力を備えたゴジラ。
作中、「G細胞」と言う単語は出てこないが、過去作からの引用するところの、脅威の回復能力を持つ「G細胞」によるものと思われる。
また、ゴジラが引き起こした爆風に巻き込まれて、亡くなってしまったと考えられていた典子が生きていた事には、喜びと驚き、そしてどこかで願っていた「生きていて欲しい」と言う感覚などが混在した感情を抱いたが、敷島と抱き合う典子へのズームアップに、映し出された意味深な首筋の黒い模様。
まるでゴジラの皮膚の色の様なそれに、首筋もしくはそれ以外のどこかしらにG細胞が付着ないし侵入、典子の細胞と結合し、瀕死の重症から回復させる事になったものと考えが及ぶ。
過去作「ゴジラ対ビオランテ」で、死んだ娘の細胞とバラの細胞とを結合させ、更にそこにG細胞が結合してしまい、怪獣ビオランテに変化・成長してしまうと言う、一つのものを奪い合い争う事による醜さ、科学の正しい進め方を問うた作品を思い起こさせる。
ひょっとしたら、「ゴジラ−0.9(仮)」や「ゴジラ1.1(仮)」などの次回作が作られ、ビオランテの様な悲劇の怪獣が誕生し、ゴジラ対典子(ビオランテ?)の対決が勃発し、敷島らが典子を救い出せるのか?と言った続編となるのだろうか、などと考えてみる。


・エンドロール
ゴジラの足音が迫ってくる演出が、初代ゴジラのオープニングなどの様でもありとても良かった。
欲を言えば、最後にエンドロールを踏み潰したり、咆哮で画面が砕け散るなどの演出なんかがあったら、もっと面白かったなと妄想を膨らませてしまった。



【お酒】
決起集会などで闇市とは一線を画す様な店構えの屋台風の居酒屋や、敷島の自宅建設祝いの席などで熱燗が飲まれている。

この時代、まだまだ粗悪なアルコールが溢れていたであろうと思われるが、敷島らは危険な仕事故に高給をもらっているので、当時としては上等なお酒を飲んでいるものと思われる。
基本的には、日本酒を燗にして飲んでいる様に見受けられる。

また、居酒屋のシーンでは、一升瓶と思われる瓶に「二十五度」と書かれているものが棚に並んでおり、こちらは上等な焼酎なのではないかと考えられるが、こちらを飲んでいる雰囲気は無い様に思えた。



【総括】
最新のVFX映像の素晴らしい技術で、大迫力のゴジラアクションが堪能出来る。

初代ゴジラの「非核、非暴力」の精神をしっかりと受け継ぎ、その他過去作の重要な要素なども幾つかオマージュ的に散りばめられており、既存ファンも納得の内容。

しかし、決して説明過多にはならずに、設定などをうまくセリフや描写に取り込んだ表現は、ゴジラ作品を初めて観ると言う方も楽しめる内容なのでは無いかと感じた。

過去の過ちを認め、戦争のない平和な世界が訪れる事を願う。
Arata

Arata