Arata

渚にてのArataのレビュー・感想・評価

渚にて(1959年製作の映画)
4.0
前々日、ベルファストを再鑑賞。
その際に、彼らは新天地としてオーストラリアへの移住も検討しているシーンがあり、今作を思い出す。


60年以上前の作品なので、ネタバレ表記にはしていないが、大いに内容に触れているので悪しからず。



【あらすじ】
1964年、第三次世界大戦が勃発し、核兵器の使用により、北半球の人類のほとんどが放射能汚染により亡くなってしまう。

南半球のオーストラリアが、唯一人類が生存出来得る地域として、差し詰め最後の楽園となるのだが、そこも間もなく放射能に侵されてしまうだろうと言う最悪の状況。

自分たち以外が死に絶えた世界で、近いうちに訪れる自らの最期の日まで、彼らはどの様に過ごし、どの様に人生を終わらせるのか、戦争を嘆き、核兵器を呪い、誰かを愛する素晴らしさを、観衆に向けて問いかけてくる、ディストピアSF終末ヒューマンドラマ。


原作は、ネヴィル・シュートさんと言うイングランド出身、オーストラリアに移住した航空技術者にして小説家の方の作品。未読。



【感想など】
・キャスト
グレゴリー・ペック氏が、威厳さと色気を感じさせる佇まいで、とてもかっこいい。

フレッド・アステア氏も、素晴らしい存在感。
車のレースは合成感が否めないが、まるで崩れゆく世界に最後まで抗うかの様に、車を整備し、何かを成し遂げようと努力し、そしてそれが結実すると言う姿に、大きな感動を覚える。
それだけに、車庫を密閉し、優勝エンブレムを装着した自慢のフェラーリのエンジンの出力を目一杯あげて、瞬く間に排気ガスが充満していく様子に、何とも言えない感情が込み上げてくる。



・テーマ曲
使用されているのは、「Waltzing Matilda」と言うオーストラリアの代表曲。
オープニングでの演奏や、川で魚釣りを楽しむシーンで周りの酔っぱらい連中が歌っているのもこの歌。

放浪すると言う事をWaltzing、寝袋の様な折り畳み式の寝具などを入れたりする袋をMatildaと言うらしい。
つまり、浮浪者が旅を続ける様子を歌った曲。

浮浪者が羊を盗み、警官に追われて自殺すると言う内容の歌。
捕まるくらいなら死んでやると言う反骨精神溢れる主人公が、移民達で成り立ったオーストラリアと言う国で、彼の様に権力に立ち向かう人物像が、この土地の人たちに支持されて、第二の国歌とまで言われる程の人気を誇るらしい。

ジム・ジャームッシュ監督の「ダウン・バイ・ロー」などで役者としても活躍しているシンガーソングライターのトム・ウェイツさんの代表曲、「トム・トラバーズ・ブルース」では、この歌の一部が引用されている。
この曲は、画家のバスキア氏の自伝映画「バスキア(1996)」で使用されている事でも有名。
映画バスキアは、その他の楽曲もポーグス、デヴィッドボウイ、PILなどなどで、とても素晴らしい。
また、ジェフリー・ライト、ベニチオ・デル・トロ、ウィレム・デフォー、ゲイリー・オールドマン、デヴィッド・ボウイ、デニス・ホッパー、コートニー・ラブ、ティタム・オニール、サム・ロックウェル(敬称略)などなど、豪華キャストの作品。※今作鑑賞の翌日、再鑑賞をした。


・放射能
果たして、核兵器使用による影響が、この映画の様な進行をしていくのかは不明だが、チェルノブイリや福島の事故によりゴーストタウン化した街を、テレビ画面越しとは言え知っている現代の人間からすると、無人のサンフランシスコの映像に恐怖を覚える。


・ラスト
「兄弟よ、まだ時間はある。」の横断幕が、誰一人として居ない広場に、ポツンと取り残されている。
大勢の群衆が集まっていたシーンから、徐々に人が減り、最後には誰も居なくなる。
そしてそのメッセージは、今作を鑑賞した全ての人に向けたメッセージへと変わる。



【飲み物】
紅茶、ジン、ブランデー、コーヒー、コカコーラなどなど。
ここでは、紅茶とジンについて。


・紅茶
序盤ではピーターが妻を起こす際に淹れているが、終盤では永遠の眠りに就くために淹れている。
幸せな夫婦生活を象徴するかの様な序盤と、その暮らしを振り返り、生涯を終える為のアイテムとして描かれている。
非常に効果的な対比表現で、胸に重くのしかってくる。


・ジン
モイラが、以前飲んでいたらしいが、今は飲むのをやめたと言うお酒。実際には登場しない。
ジンについては度々触れているが、ディストピアの象徴の様なお酒。
そのお酒をやめたと言う事が、遠回しにユートピアを求めているともこじつけられる。


また、直接飲食物では無いが、飲食店の扉を閉めるとはずみで傾いてしまう肖像画も、途中まではコメディ要素として楽しめるが、ラストでは傾いた額縁を真っ直ぐに戻そうとはしない姿、その時のウェイターの表情もとても物哀しい。
こちらも対比的に描かれていて、その分とても辛い感情を抱く。


【総括】
60年以上経った今も、「まだ時間がある」状態を抜け出せない、不安定な世界情勢に映画の世界との地続きを感じる。

フレッド・アステア氏が演じるジュリアンが潜水艦の中で「単純では無い理由で、未だに戦争が無くならない。平和を保つために武器を持つ。人類が絶滅する程の威力の兵器を、各国が造る事を争う。」と言う内容のセリフが、現実の世界でも有効だと言う事が悲しくてならない。

「まだ時間がある」のではなく、「もう恐れる事はない」と言う時代が、1日でも早く訪れて欲しい。
Arata

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