Tully

市民ケーンのTullyのネタバレレビュー・内容・結末

市民ケーン(1941年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

物語は新聞王ケーンの今際の言葉、「バラのつぼみ」 の意味するところは何か。それを一人の記者が生前ケーンと親交があった人物たちへのインタビューを軸としながら、ケーンとはどんな人物だったのか、解き明かしていくいわばミステリー風の人間ドラマ。この映画が伝説的傑作とされるのは、やはりその構成や当時新機軸の撮影法によるもの。物語の冒頭でケーンの死を映し出し、映像は過去へと逆回転していく。「メメント」 や 「プレステージ」 で 「クリストファー・ノーラン」 がよく使う手法ですが、今から約何十年近くも前に同じ描き方がなされていたことは、ある意味驚愕。そして画面全体、手前の被写体から最奥部の被写体まで、全てにピントを合わせるというパンフォーカス法。決して肉眼では見ることが出来ない世界です。またカメラの長回しによるワンカットシーンや、極端なローアングルからのパンなどは、その後の 「ヒッチコック」 や 「デ・パルマ」 の映像に明らかに影響を与えたものでしょう。話自体は淡々とケーンの生涯を描いていて、これといった盛り上がりも見せません。しかし興味深いのは、インタビューを受ける側、つまりケーンの元妻2人、相棒だった男、部下、養い親、仕えていた執事などの人々の目に写るケーンが実に様々だということ。ある者にはひどいエゴイスト、ある者には独裁者、またある者からは尊敬と崇拝の対象という有様。そんな食い違った印象により、人によって物の見方は千差万別だという分かりきったことと共に、ケーンの本性がそれとなく分かってくるところが実に巧妙に描かれている。やはりケーンの本性が一番よく分かるのが、かつて唯一の親友であり、パートナーであったリーランドの話です。演じるはやはりウェルズの公私でも朋友だった名優 「ジョセフ・コットン」 。浮かび上がってくるケーンの人物像、それは弱さを実に様々な技法によって誤魔化している人間だということ。つまり、彼は決して特別な人間ではなく、我々と同じ一人の人間なのです。ただ、彼は自分を演じるという技術を身に付けていたに過ぎない。もっと言えば、自分に嘘をつける人間だということ。しかし自分への嘘を隠すために更に自分に嘘をつくことになり、その結果誰もが自分から離れていってしまう。そしてあまりに嘘を重ねてきたために彼自身、本当の自分を見失ってしまうのです。ケーンの異常ともいえる収集癖。金で集めた心を持たない物質は決して彼を裏切らない。自分を裏切った人間どもへの憎悪が為せる業。しかしこれはケーン自身が周りの人々、そして自分自身への裏切りによって引き起こされた悲劇なのです。彼は生涯 「孤独」 だったのでしょう。その心情をものの見事に演じきったウェルズ。素晴らしい俳優です。さて結局 「バラのつぼみ」 とは何だったのか、それは映画の登場人物たちにも真相はわからない。結局ラストのあるシーンで観客だけにわかるように撮られています。その正体については、作品を観ていただくと分かります。私見ながらこの映画、あまりにもよく出来ていたため、ケーンとウェルズが同一人に見えてしまう自分です。有名なウェルズではありますが 「第三の男」 以降の彼は、金さえもらえればどんな映画にも出るような印象が強い。だから私は彼が人並外れた映画人であることは確信していますが、正直好きとは言えません。でも映画史にその軌跡を残した数少ない真の天才の一人であることは間違いありません。「市民ケーン」 はあらゆる意味で必見の名作だと私は思います。
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