T太郎

ドッグヴィルのT太郎のレビュー・感想・評価

ドッグヴィル(2003年製作の映画)
4.2
1051
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラース・フォン・トリアー監督作品だ。

誠に申し訳ないが、非常に好みの作品だった。
この監督の作品を追いかけて行きたいと、本気で思ったものだ。

全編スタジオ撮影だと丸わかりだ。
なぜなら、さして広くない空間に白線を引いただけのセットを一つの町に見立てているからだ。

人口20名前後、メインストリートを挟んで10軒程度の家屋や商店が建ち並ぶ小さな小さな町。
それがドッグヴィルだ。

その町をなんと、白線とささやかな大道具、小道具のみで表現しているのだ。
壁はないし、ドアや窓もない。
セット感丸出しである。
当然、こちらは戸惑う。
まず、この演出が気になって仕方がない。

だが、やがて物語が進むにつれて、それも気にならなくなって・・・
なんて事はない。
私は最後まで気になって気になって仕方なかったのだ。
この戦法が成功しているのか否かは、よく分からない。

しかし、作品自体はかなり没入して鑑賞できたのである。
すんごく面白かったのだ。

物語は、ギャングに追われているらしい年若い美女が、このドッグヴィルに逃げてきたところから始まる。
時代は20世紀序盤あたりか。
都会的な謎の美女。
彼女が主人公のグレースである。
演じるのは我らがニコール・キッドマンだ。

実にお美しい。
結婚したい・・・

彼女を助けるのが、作家志望のインテリ然とした青年トム。
陰に日向にグレースを支援し続ける男だ。

町の人々は、閉鎖的なコミュニティを構成する素朴な正直者たちである。
当然、彼らはグレースを警戒する。

だが、彼女は人々の信頼を勝ち取って、この町で生活する事を許されるのだ。

特段必要ではないが、できればしてもらいたい仕事。
子守り、農作業のお手伝い、盲目の老人の話し相手などなど。
そんな仕事をグレースは積極的にこなしていく。

様々な悩みやコンプレックスを抱える人たちにも親身に寄り添い、やがて人々は胸襟を開いていくのだ。

この辺の下りは実にほのぼのとしていて、気持ちのいい流れだ。
町の子どもたちもグレースに懐き、老若男女みんなが彼女に敬意と感謝をもって接するようになるのである。

だが、しかし・・・

次第に町の人々の様子がおかしくなっていく。
彼ら・・いや、奴らはどんどん調子に乗っていくのである。

自分たちは危険を冒してグレースを匿っている。
マフィアに追われ、警察にも手配されている女だ。
リスクが大き過ぎるではないか。

よ~し、もっとこき使ってやれ。
賃金も減らしてやれ。
意地悪してやれ。
レイプもしてやれ。
いじめていじめて虐待してやれ。

おいおい、さっきまでのほのぼの展開はどこに行ったのだ。
友人だった女たちの態度の変わり様はなんだ。
子どもたちは悪魔のごとき聞き分けのなさではないか。
男どもに至っては、漏れなく全員グレースをレイプするのである。

町からの脱走を試みるが、卑劣な裏切りにより失敗するグレース。
連れ戻された彼女は、重りのついた拘束具を装着させられる。
(推定50kg)
しかも、それを着けたままで今までどおり働けという。

これではまるで奴隷ではないか。
一体どういう事なのだ。
あんなに仲よくやっていたのに。
こんな分かりやすい手のひら返しがあるのか。

しかし、彼女にはトムがいる。
彼だけはグレースの味方なのだ。
二人は愛し合っているのである。

だが、しかし・・・

最も手酷い裏切りを行ったのが、トムなのである。

全くもって胸糞の悪くなる物語だ。
さすがトリアー監督と言わざるを得ない。

社会的な深いテーマがあるのかもしれないが、私はただただ物語の面白さに惹かれた。
貧困にあえぐ人間が皆、こうなるとは思えないのだ。
少なくとも日本では。

とにかく、純粋に物語が面白かった。
エグい内容だけに、あのセット感丸出しが逆に良かったのかもしれない。

かなりの長尺だが、全く退屈する事なく鑑賞できた。
これもひとえに、私の並外れた集中力と素晴らしい人間性によるところが大きいと言えよう。

さすが私だ。
T太郎

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