大道幸之丞

東京難民の大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

東京難民(2013年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

劇場公開中(2014)に観ようと思っていた映画でした。
かなり見ごたえのある作品です。

結局映画の鑑賞まで10年も経ってしまったが、今回観ると既に「古いな」と思える部分があった。
原作もあり、上下巻に及ぶ長編だがこちらも2011年ともうとっくに古い。
扱う題材が若年のライフスタイルそのものなので5年もズレると完全に古い感覚がある。

――Fラン大学へ何も考えずに適当に通学していた時枝修(中村蒼)が主人公。
親が失踪し学費を滞納してしまい。レンタルマンションも滞納状態
すべて親にぶら下がって過ごしていた事のリスクが出てしまった。

ここから社会経験も皆無な大学生が「どうやって生き延びていくか」がこの映画の主題で、タイトル通り「難民」のように生きる。
ただし、原作者自身がリアルタイム世代ではない弱みが出て、ネカフェ難民や「ステレオタイプ」な当時の定職・定宿を持たない若者のセンを踏みすぎてやや人工的というか「予定調和感」もあった。

頼るものがない修は日払いの割に合わないバイトを繰り返し辟易するが、ペイドボランティア(治験アルバイト)でまとまった金が懐に入った事で気が大きくなり
「ご飯を食べに行こう」と見知らぬ少女瑠衣(山本美月)の誘いに易々と乗ってしまい、案の定騙され、ホストクラブの代金を支払う羽目になる。

多額の料金が支払えず土下座の結果、オーナーの児玉(金子統昭)にチャンスをもらいホストとなる。そこへ同じように瑠衣にナンパされてホストクラブ代を押し付けられたナースの茜(大塚千弘)は、素人っぽさの抜けない修に興味をもち、やがて身体の関係に至る。
――ここで「恋愛関係」ではなく「身体の関係」と書かなければならないのは、茜はあくまで「ホストと付き合っている事」に執着が
あるようにも見受けられ、オフでデートもするのだが、将来を語る事もなく、どこか修へは仕切りの入った好意以上が感じられない。修がホストを辞めてしまえば興味がなくなる気配がある。

順矢が背負った「ツケ」を修が茜から借りて立て替える行為も、修への恋慕というより、ナースという職業から「ホストに貢ぐ・助けてあげる」という行為に自己陶酔しているとも言えなくもない。

修も決して茜には結婚までのイメージは一度も描くこともないが、それは児玉から「どこかのタイミングでフロ(ソープランド)に沈めろ」と言われ「女をモノとみる」意識が働いて、セーブする感覚があるせいかもしれない。

「ホスト編」と切り替えてもいいぐらい、まともに人間模様が描かれるのはこのあたりからだ。
茜は修が気に入ったにせよ、ホスト遊びにハマり込んでいく。そういう傾向性の女性であることがわかる。

――現実の話として、ここまでどこか中途半端な「一般人の中なら美人レベル」なタレントだった大塚千弘が、茜役では大胆にヌードにチャレンジしている。その必然性は多少議論があるが、女をモノと観る事を強いられるホスト業界を描く中で「生身の女性」を意識させるには有効だったと思うし、鑑賞者は「ホスト遊び」にハマり込む茜と修との距離感で以降惑わされる事になる。そしていずれにせよこの二人が物語の軸だ。

順矢の金を持ち逃げする小次郎(中尾明慶)もそうだが、価値観を「金」に矯正されたホスト業界の男達だが、終始「金と情」で周囲の裏切りに苦しむ事になる。

順矢の「頼りになる先輩」の手引きで向かう千葉の奥地の建設現場ではその先輩が順矢と修の紹介料を受け取るやとんずらしていた状況や、自分を心から心配していると思い会いに行った茜は、会話から得た情報で、
児玉に「修の居場所を教えるからツケをチャラにしてほしい」と嘆願するなど「人を簡単に売る」行為を被る

いつまでもスレる事がない修は「働いて返すから順矢を許してほしい」と、保険金目当てに「小次郎を殺せ」と順矢に迫る児玉に嘆願するが、逆に嬲りつくされ「そいつは終わった人間だ」と
罵声を浴びせられながら河原に放置される。
――ここでは児玉と男3人の構図になるので、俺なら人数をかけて児玉に歯向かってもいいのではと思った(笑)

ここから章立てが変わるように、ホームレスの鈴本(まさかの井上順)に拾われ九死に一生を得た修が、最底辺の生活から、鈴本にも被災で失った息子も居、本当の「底辺の生活」をする中で
実はここまで最底辺にいるつもりでも、どこか子供じみた意地を張っていた自分に気付き、自分を捨てた父親を少しずつ許せるようになっていく。

結局、修に貸した金が返せずソープ嬢になった茜を知り、店に会いにゆく、この場面では堕ちるに落ちたお互いを認め、許しあうのだが、茜から「ここで私の為にシャンパンコールやって」と修がせがまれ、場面的には「まじかよ」と身構えたが、修の愛のこもったコールは場面を成立させていてホッとした。
――でも携帯番号が変わってないなら外で会っても良かった気がするが、これが演出なのでしょう!

成長した姿と「明日に追うべきもの」を掴んだ修が鈴本の元を去る場面で「ハッピーエンド」的に終わるのだが、


観終っての感想だが、私にとっては22才と若い修はそれだけで、希望だらけであると感じるが、若いがゆえに社会常識が足りていない。
現実の世界なら、どこかで公的セーフティーネットに引っかかることは出来たと思う。
最初の場面なら区役所へ行くと一時的な福祉サポートは受けれらるし、生活保護では新たな住居確保を無償でサポートしてくれる。
ホスト遊びの借金も「法テラス」に相談し自己破産で逃れる事も出来る。実際、今時借金返済でソープランドに行く女性はさすがにいない。
日払いのアルバイトも「タイミー」で楽しく稼ぐことも可能だ。

――こんな事を書いても「映画」なので、それはそれでいいのだが、あまりこの映画で「そんな感じなんだ」と実情と思い違いし、まともに受け止められてもいけないとも感じた次第だ。