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BPM ビート・パー・ミニットのnetfilmsのレビュー・感想・評価

3.7
 白熱した討論会に水を差す1組の集団、ソフィ(アデル・エネル)はジャンヌ・ダルクのように中央に駆け寄ると、主催者の男に疑問をぶつける。だが後ろの方から血液の入ったゴムボールが投げ込まれ、突如場は白ける。やり場のない怒りが込み上げる中、今日も「Act-Up -Paris」には4人の新人が加入する。「Act Up」とは(AIDS Coalition to Unleash Power)の略であり、現在まで続くアクティビスト・グループとして知られている。エイズが蔓延した80年代、最初にアメリカで誕生し、その支部がフランスに出来た。監督であるロバン・カンピヨはゲイであり、実際に当時「Act-Up -Paris」の活動に参加した。彼が脚本を務めたローラン・カンテの『パリ20区、僕たちのクラス』のように、今作も極めてシリアスなディスカッションの様子を3台のカメラがドキュメンタリー・タッチで追う。急勾配の会議室、その上の方に座る男ショーン(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)は時に大胆な提案をし、時に前に出てその空間にいる人間たちを鼓舞する。その姿は大胆不敵で、カリスマ的魅力に満ちているが、彼は16歳の頃、数学の教師で既婚者の男性と、たった一度関係を持ったことでHIVに感染した。

 この日初めて「Act-Up -Paris」に加入したナタン(アルノー・ヴァロワ)は場の活気に圧倒されつつも、徐々にカリスマ的な魅力を発するショーンに惹かれてゆく。それは繊細でナイーヴな感情を持ちながら、いつ死ぬかわからない不治の病に侵されたショーンの刹那の匂いを嗅ぐことにもなる。一刻の猶予もならない彼らの日常、タイマーで4時間置きに口に放り込む複数の錠剤、それは文字通り生死を賭けた闘争であり、SNSがない時代、彼らはより過激にセンセーショナルに人々へ訴えかけねばならない。討論会への乱入も、高校の授業中への介入も彼らにとっては闘争の手段であり、その矛先はある製薬会社に向けられる。彼らの行動は決して褒めれらたものではないが、それが死の恐怖と闘う彼らの焦燥だとすれば合点が行く。徐々に病に侵されたショーンは、朦朧とする感覚の中で1人壇上に立ち、孤独と闘う。その姿に26歳で奇跡的に病気にかかっていない男はただただ震え、涙する。

 映画は彼らの微かな希望として、エクスタシーとフラッシュに抱かれたフロアで流れたMr. Fingersの『What About This Love? (Kenlou Mix) 』やBronski Beatの『Smalltown Boy』リミックスの喧騒、イーブン・キックと光の粒子だけが彼らを多幸感に包み込む。さながらここではミア・ハンセン=ラヴの『EDEN』と地続きの世界で揺れる。性交渉でエイズになり、この世に召された人だけでなく、血友病で天に召された人々のことを思う今作はやはり当時、現場にいたロバン・カンピヨにしか描けない世界だろう。徐々に深刻さを増すクライマックスに涙する。
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