ねこねここねこ

祈りの幕が下りる時のねこねここねこのネタバレレビュー・内容・結末

祈りの幕が下りる時(2017年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

いやもう淚なしでは観ることが出来ない。
加賀恭一郎(阿部寛)がどうして日本橋署に来たのか、加賀の過去、母の失踪や父との葛藤などが、初めて明かされていて興味深い。
自らをマザコンだと称し、失踪した母百合子(伊藤蘭)の恋人だった綿部俊一(=浅居忠雄:小日向文世)を探し続けていた加賀。
そして演出家の浅居博美(松嶋菜々子)もまた、父の心の拠り所であった恋人百合子のひとり息子である加賀をずっと前に探し当て、会いに来ていた。
誰が?何のために?迷宮入りしそうな事件を追いかけながら自問自答して「自分」に辿り着き、博美に辿り着くあたり、すごいなと思う。

物語の後半は過去の出来事。
たった1人のとんでもない母親(キムラ緑子)のせいで不幸のドン底に突き落とされた父娘。もう後がない父娘は手を取り合って🤝夜逃げ。逃げるお金も満足になく、ひたすら歩き、一つのパンを分け合う。このあたり、砂の器を彷彿とさせる。
いよいよ行き詰まって死を覚悟する忠雄。

その時博美が食堂で会った男を殺してしまう。いやいや、一回のバイトでそんなお金もらえるなんて、ヤバいに決まってるし、そもそもちゃんと払うかもわかんない相手なのに、忠夫の財布がスッカラカンなので何とかしようと思ったんだね💧

この破廉恥男を殺したことで、父娘の運命は大きく変わる。
死ぬ気だった忠雄は男と入れ替わって生きることにする。
娘のためならどんなことだってするし、娘の幸せが何よりの望み、これは普通の父親ならきっとそう。
でも、辛い、辛過ぎる選択だ。
そしてトンネルの中を「お父ちゃーん」と泣きながら後を追う博美の姿はもう涙なしでは観られない。録画してたので何度もリピートしてしまった。自分泣き過ぎ😭

前作と言える「麒麟の翼」で、思春期の子供が罪を犯した時、大人はどうその罪と向き合わせるべきかを感想として書いた。きちんと罪と向き合わせず、庇ってしまった結果、逃げ癖がついてしまう、と。
では今回はどうなのか?
ここでもやはり父親が娘の殺人をなかったことにして他人の人生を生きることに決めた訳だが、それが父親なのか教師なのかでも受け手の感覚は異なるだろう。忠雄は死ぬ覚悟をしていた。博美が殺人を犯してしまったことで、別の生き方を選ぶ、いや、そうするしかなかったのかもしれない。
だってこんなに辛い想いをした娘を警察👮‍♀️に突き出すことなんてできない!って思ってしまう。
映画の中でも「博美のお陰で生きることが出来るんだ、ありがとう」と言って抱き締める。もう涙涙💧
そうだよね、死ぬしかないと思ってたけど、そこに他人として生きる道が開かれ、娘を遠くからでも見守っていける。忠雄にとっては僥倖とさえ言える。
それでもその道は苦しいことが多い。もう正々堂々と娘と一緒には暮らせない、会うことすら憚られる。もちろん生活は加賀が言ったように「その日暮らし」
そんな中で出会った百合子、お互いどこまで自分の過去を伝えあったのかはわからないけれど、博美以外に唯一心の支えだったのだろう。その百合子の死、それも自分は隣にいてやれなかったから孤独死させてしまったという想い。想像に難くない。それでもそこから16年、娘の幸せだけを祈って暮らしていた。ひっそりと息を潜めて。娘の幸せや成功を少しでも脅かす存在は消すしかない。
ここでは父親も博美の罪を隠蔽したことで次々と罪を重ねて行く。
一方博美も大好きな父親とは離れ離れになり、もう堂々と会うことすら叶わず、東京の橋で離れ離れに赤の他人のように📱することしか出来ない。抱き締め合うことも、夜逃げした夜のように手を取り合うこともできない。それが罪に対して与えられた罰なのだろう。あまりにも切ない。

しかしツッコミどころや疑問点もある。
その日暮らしのつましい生活を余儀なくされたはずの忠雄は百合子と恋仲になるほどスナックに行く余裕はあったの?
近藤今日子として博美との手紙のやりとりをしていたようだが、住所は転々としてたはずなのに、どうやってやりとりできるのか?とか。
人を殺してしまった博美はなぜかその後教師と不倫して妊娠、堕胎しているけど、しれっと恋とか出来るのだろうか?授かった子供を簡単に堕ろしてしまえるのか?
そして何より、別の人生を生きたかったのだとしても、なぜわざわざ女優だの演出家だの目立つ仕事を選んだのか?父親がパンドラの箱になったとしても、そうなる下地を作ったのは博美だ。博美が目立つことで冒頭に出てきた同級生を呼び込んでしまったのだ。
かつて人を、事故や正当防衛に近いとしても殺してしまったら、そんなふうに生きられるのだろうか?
ここもやはりしっかり自分の犯した罪に向き合っていなかったからこその軽々しさであり、それにより罰のように大好きな父親を永遠に失うことになったのではないだろうか?

私もかなりの父親っ子だったけれど、父親が自分のせいで他人としてこそこそ逃げ回る生活を強いられたら、どれほど辛いだろう。父親がどんなに、死ぬつもりだったからいいんだ、お前の幸せが1番だと言ってくれても、自分が幸せであればあるほど、父親の境遇が辛く苦しいことが耐えられなくなるだろう。ものすごい罰だ。

そんな父親の心の支えであった百合子の息子、加賀に会ってみたいという強い気持ちはよくわかる。そして加賀を見て安心する気持ちも。たとえそれが逮捕のキッカケになったとしても後悔していないというのも本当だろう。

切ない、あまりにも辛い終わり。
観ていると、もう迷宮入りで良かったのでは?とすら思える。
「麒麟の翼」で加賀は「殺されても仕方ない人間などいない。だから私は刑事をしています」というような台詞があったけれど、本作でもそれはきっちり守られているし、子供が犯した罪にきちんと向き合わせず逃したら、辛い罰がまっている、ということも踏襲されている気がする。

ミステリーだと謎解きにばかり重きが置かれ人間の心理が深掘りされない作品もあるけれど、東野圭吾の作品は人間の心理を深く掘り下げて描いている。
素晴らしいと思うのに、「容疑者Xの献身」同様、観終わった後に苦しくなるような作品だった。