ハヤシ

ブラック・ウィドウのハヤシのレビュー・感想・評価

ブラック・ウィドウ(2021年製作の映画)
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ナターシャの家族は所謂偽装家族で、行動の指針は無償の愛というより、ひとつの共通の目的であった。とはいえ愛によってではなく目的によって行動を共にするのが、「偽装家族だからこそするもの」ではないとも思う。例えばそれが戸籍上の家族であっても、「家族だから一緒に行動するのが当たり前」という考えに基づいて行動することばかりを礼賛する必要はないのでは?と考えさせられた。そして、無償の愛によって行動しないからといって、そこに愛や絆が存在しないという訳ではない。

偽装姉妹だからと言われてしまえばそれまでだけど、ナターシャとエレーナは"姉"や"妹"という役割から解放されているように見えた。殺し屋としての力に大きな差がないことやコミュニケーションのとり方もさることながら、「姉/妹だから○○(しなければならない)」というのもほとんど見られなかったように思う。その関係性は単に姉妹という言葉で表すよりは、同じ苦痛を同じように味わってきた者同士、同僚や同志と言った方がしっくりくるような気がした。
そしてブダペストでのカーチェイスの後、そんな2人が酒を飲み交わすシーン(とその後のドライブシーン)が本当に最高だった。劇中で一番好きなシーンかもしれない。私はずっとあんな女同士の関係に憧れている。

『ブラック・ウィドウ』そのものは、かなり好きな作品だった。家族の描き方、特に姉妹の関係性についてはかなり好きだったし、女性の解放を描いているところも良いと思った。オープニングの映像とその裏で流れるニルヴァーナの『Smells Like Teen Spirit』のカバーの不穏さはそれだけで心掴まれた。全体を通してMCUらしくなさもありながら、アクションのシーンはやはりMCUらしかった。MCUが好きだと言う大前提があるので、それを一旦忘れて、スパイを生業とする女性のストーリーだと考えてもすごく良かったと言うと思う。
ただMCUという連続した作品の一つであることを思うと、エンドクレジットからポストクレジットでどうしても考えてしまうのは、この後のナターシャの死だ。
家族がいるから死ねない、いないから死んで良いというわけではもちろんないのだけど、「クリントには家族がいて自分にはいないからナターシャはあの選択をしたのだ」と自分に言い聞かせていた。でも、ナターシャにも家族と思えるだけの存在がいたのだと思うと、ほんの少し心がささくれ立ってしまう。クリントにはまだ幼い子供がいるから、ナターシャ自身もクリントの家族を知っているから、あの選択をせざるを得なかったのかなと思うと、やっぱり複雑な思いを完全には拭いきれない。まあでも…仕方ないのだろうけど…分かるんだけど…という…
多分はやく『ホークアイ』を見るべきなのだろうな。そろそろ本格的にディズニープラスへの課金を避けては通れなくなってきた。
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