しずる

リチャード・ジュエルのしずるのレビュー・感想・評価

リチャード・ジュエル(2019年製作の映画)
3.7
作品の主張も、表現も、極めて明確かつシンプル。
ステレオタイプからはみ出した人間に対する偏見、話題性に飛び付き煽るだけのメディアの無責任さ、暴走する権力の醜さ恐ろしさ。
誰もが声高に我を押し付け、情報が恐るべき速度で現実を追い抜いて拡散するシステムが確立してしまった現代、その弊害と向き合い方について、よほど身構えて掛からなければ簡単に落とし穴に填まるぞ、という警告。

とにかく誰も彼も、自分の信じたい事、したい事を追い求めるばかりで、他人の話を全く聞かない、配慮しない。
一度破壊されれば元に戻らない物事だってあるのに、過ちが認められた後も、FBIもマスコミも、どうせ謝罪の一言もないだろう。
皆が揃って、私は間違ってない、だから少しばかり逸脱しても許される、と言わんばかりの身勝手さで、凄まじくイライラさせられた。
主人公のリチャードも例外ではない。自分が正義と信じる事を愚直に履行しようとし、国家正義は過ちを犯さないと信じきっている。
終盤、連邦捜査局で毅然と反論し、失望を露にし、真犯人自白の報を即真に受けず「罪状認否は?」と問うた彼は、ようやく我が身をもって、盲信の危うさを理解したという事だろう。

大衆の差別的決め付けを助長する、主人公リチャードの外見や挙動の描き方が容赦なく、記事をすっぱ抜いた女性記者曰く「母親と同居のデブ」。最近映画の考察記事で『インセル』というワードに触れたものがあったが、正にそれ。オタクで独身でキモいマザコンのデブ、多分ゲイ、という、世間の正道から外れた者への差別と見下し。
フツウでないものを排除するという感情は、生物学的生存本能として見れば至極妥当なもので、人間に当たり前に備わった本能でもあるように思う。それが自分の中にも、確かに黒々と沈殿していると知らしめられるのは、酷く気色が悪く、苦々しい。
冤罪は晴れ、晴れやかな筈の結末だが、気持ちの悪いものを呑み込んでしまって、その感触がいつまでも消えないような気分で、しばらくしかめ面のままになってしまった。
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