誤宗黒鳥

ボーはおそれているの誤宗黒鳥のネタバレレビュー・内容・結末

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

気まぐれで珍しく上映中の映画を鑑賞して自分用に感想を。
とりあえず、ボーは
・何度も選択を強要されます
・何度も気を失います
・何度も想像力と記憶が脇道にそれていきます
これを念頭に置けばとりあえず良し。明らかに聖書におけるユダヤ人的な追放、虜囚、脱出みたいな物語の意識はあるのでしょう。

前情報はなるべく入れずに観たが、「悪い夢を見せられてるみたい」という感想やアリアスター監督自身の「観客には最悪な気分になってほしい」という見解を踏まえても案外物語の軸はしっかりしていたし、思ったほど映画というものの構造を破壊するような感じもしなかったのは拍子抜け。おそらくこれは夢野久作仕込みの物語内物語の入れ子構造に慣れてるからかもしれない。おかげで映画3本分くらいの満足感があったし、正直言ってホアキンの「ジョーカー」で拍子抜けしていたのと、やたらとアリアスターが持ち上げられてるのがいい気はしないで観たので意外だった。

本作は大きく3つの段落に分かれていると考えると分かりやすい。
1 ボーが家を出ようするグダグダ、彼を車で轢いた外科医一家に助けられ、その家から出るまで
2 医者の家から逃げ出した先の森で出会った孤児の集団の演劇鑑賞、医者の家から放たれた追手の追撃から逃げるまで
3 ボーが実家に着いてから

それぞれが1本の映画並みの情報量だったので案外飽きさせない内容ではあった。
1は「ジョーカー」のやたら小奇麗なゴッサムシティもびっくりの荒れ果てた街に住むボーの汚らしい生活感を味わえる。あんな状況ならそりゃ「おそれてる」と納得できる。母親については後々明らかになっていくが、なぜ実家があんななのにボーはこんなところで一人暮らしているのか?後から思えば、もしかしたらボーにとっては母親の近くにいるくらいならばあのような掃きだめで暮らす方が良かったのかもしれない。それも結局監視されていたのではあるが…。オッサンが一人寂しく暮らす部屋と、前の通りという極めて狭い範囲で繰り広げられる「ジョーカー」もびっくりなドタバタ劇はアリアスターがあの作品を嘲笑ってるような気もして笑える。これだけで映画一本になりそうだが、それで終わらないのが本作。
まさかの天井にいた原因によって強制的に家を飛び出したボーは偶然車で通りがかった医者の夫婦に轢かれ、その家へ…この家もボーのユダヤ教的なものとは違う、キリスト教的な家族問題を抱えていた。戦死した息子に執着する夫婦は深刻なPTSDを患ってまともな会話が不可能なその戦友を養子として引き取り、おそらく自分達とあまり年が変わらないであろうボーにもまるで息子の様に手厚く接する。おそらくキリスト教的慈愛の精神だろうが、それも表面的な話で本当は亡き息子の代替を求める欲望によるのだろう。家には10代の娘もいるにも関わらず…。その娘は表面的には反抗的だが両親の愛情を求めている分かりやすい反抗期娘でボーに両親をとられたと敵意を燃やし、両親が執着する兄も憎み、色々と荒れた行動を起こした結果とんでもない事に。そこから母親は豹変して…これも充分映画一本分になりそうな話ですな。
ここでものすごく印象的だったのが、二日目の夜に家の母親がボーにジグソーパズルをさせて過ごしてる時に流れる「A Thousand Miles」。何の因果か、先日この曲が当時のギャル達の愛好曲として使われていた「最終女装計画」を観ていたので予想外過ぎて笑った。この家の母親もかつては2000年代初頭にはあの映画のようなギャルだったのではと思うと感慨深い。その母親も所々でボーに家の秘密をこっそり教える素振りがあったりしながらあの結果なので色々と矛盾というか極端な感情を抱えた人物だった。または、医者の夫の不気味なまでの親切さからは「ゲット・アウト」も連想した。

多分2の劇中劇のところで観客は混乱させられ、飽きると思うが、あれは物語の入れ子構造として考えると構成としては単純でもある。孤児達が上映する演劇からボーはヨブ記的な家族の離散と再会の物語を勝手に連想して「邯鄲の夢」の如く一生を思い描く。ただしその物語と現実の矛盾を物語内の「息子達」から指摘されて現実に立ち返る。そこに医者の家からの追手がやってきてまたボーは追いやられる。

3になってようやくボーは実家に帰るが、並の映画ならこのへんで終わりそうなものだが時間を確認するとまだ2時間。え?まだここから1時間もあるの?と嫌な予感がすると共に、ここからがアリアスターの持ち味が出てくるのだろうと身構えた。
ま、ここからはさすがに詳しくは言わないがミステリー的な展開もあれば深層心理的な天井裏での出来事、これまでも合間に挟まれていた幼少期の記憶との交錯、そして母親との大いなる齟齬と審判が待ち受ける。あの夜の中をボートで走ったところで終わらせないのがやっぱりアリアスターなのですねと思い知りました。綺麗には終わらせずにしつこく主題を突き付けてくる点では確かに観客の期待する「映画」の構造から逸脱してるとは言えるだろう。
個人的にはあれだけ色々な意味で強い母親がいるならいいんじゃないかという気もするが、愛情とその確認も異様に強いからなぁ…あんなんじゃいつまでも独り立ちできないし、天井裏にいた「父」の形状からしてもユダヤ社会におけるジェンダーバランスが窺える。そういった独自問題やらどこかで見た要素をゴタゴタに放り込んだ映画が全国でここまで大規模に上映されてるのは確かに笑える。
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