どころ切り取っても自省が支配している映画。
ポー・ダメロンと同じ人(?)とは思えないオスカー・アイザック演じるウィリアム・テルは非常に謎めいた人物で、感情を表に出さないのにギャンブラーをやっている。
感情を出さないから有利ということはあるかもしれないけど、刑務所の毎日毎日同じ生活が繰り返される退屈さに自ずと適応できる人間がギャンブルを職業にしているのは矛盾している気がして、ウィリアムのミステリアスさに魅入られてしまった。
贖罪と断罪が自己の半分ずつを占めているウィリアムの言動を見ていると、誰かを許すことと自分を許すことの境界線は曖昧だということが分かる。同時に、憎むことも。
今回は全然かわいくないどころか資本主義の権化のように超極悪なウィレム・デフォーの影の薄さがかえって不気味で、出発点も到達点も決められていないような脚本の中で唯一明確な悪役だった。
世の中はもっと複雑で大抵の場合は何も繋がらないのに、この映画だとウィリアムが最後に取った行動だけははっきりと道筋があり、肌と肌が触れ合わなくても別の場所で繋がっている。
愛することで救われる……なんて言葉で書いたら一気に陳腐になってしまうけれど、他に方法がないなら何にでもすがりたくなるよ、人間だから。