脚本と演出には感服させられる。エンタメとしてはバツグンにおもしろい作品である。
ただし、なぜ「今」この作品なのか、ということには答えられなさそう。(数年後に見直したいと思えなかった。)
ロメロ映画>>続きを読む
語り手はまな板に乗せられた鮒(?)であり、語りながら何度も頭を切り落とされる。つまり語り手さえも「生死にかかわる運命」から逃れられない。運命とは回転しながら法則性のある「渦」(maelstrom)とい>>続きを読む
世界同時革命の思想が、各「国民国家」の庇護を受けることによって、闘争という手段が目的化するという皮肉であるとも読める。6時間以上の映画なのに、民衆が描かれない、70年代の新しい社会運動の描写がないとい>>続きを読む
金融の専門用語が飛び交うのに、最後まで観れるのは、キャラクターの描き方がうまいから。色や口調、階層、立場がことなるからこそ。
2008年リーマンショックへの道のりを、複数視点で捉えることで、問題の重>>続きを読む
十数年ぶりにトラウマ映画を鑑賞。
表面的なリテラシーがあることと、その背後にあるメッセージを読み解くことの落差。そして常に監視され、一定方向に誘導される人々。一部の人間は管理と結びつき人間性を放棄し>>続きを読む
シドニー・ポワチエの『招かれざる客』を思い出した。1968年、あからさまな黒人差別のなかで理解のある両親へとなっていく物語だった。
半世紀を経て、今回の映画が成立可能なのは、黒人差別がいまだ解決して>>続きを読む
トランプ+共和党批判の映画だった。
地球温暖化による災害の多発を抑制するためのダッチボーイシステムを構築し、国際社会に貢献しているているのは民主党政権ということ。共和党とトランプが地球温暖化対策に消>>続きを読む
将来的な環境破壊と人口増加の解決策として画期的であった人間の小型化。しかし小型化しても貧富の格差、移民、棄民などの問題は解決されない。病気が解決されないのと同様に今現在の問題は常に先送りされている。>>続きを読む
刑罰の道徳化と「本当の家族」とか絆なる物語(規範化)が要請されることへの批判。下層労働者にとっての横領・窃盗と浮浪の、刑罰の道徳化(規範化)とは別の意味をそこに見出す物語だった。
極言すれば(誰かの>>続きを読む
1980年5月の光州の民衆蜂起を描く。
ソウルのノンポリのタクシー運転手が、光州事件を取材に来たドイツ人記者を光州まで運ぶ。そのなかで社会矛盾に気づいていくというストーリー。政治に参加する市民の生成>>続きを読む
先天性の病による家族喪失が、過去の不倫やレイプを呼び起こしていく。
遺伝情報という先験的な所与が、否応無く経験的なものにつながっているという逆説がミステリーのポイント。
情報としてのホルマリン漬け>>続きを読む
等価交換って謎だよね。価値(使用価値?)の等価性は真実の扉が判断するわけで、等価性の尺度はわかんないよね。
アルフォンスの身体との等価性がどれ程のものなのかもわかりえない(原作の結末を無視すれば)。等>>続きを読む
クロサギ(詐欺師を狙う詐欺師)の話。
信用創造で金を創り出す銀行資本から、担保のない庶民のために融資を引き出す詐欺師は、そう悪くもないかもしれない。だが今日、消費者金融と銀行がくっつくように、サブプ>>続きを読む
昔気質のヤクザである大友が、在日韓国人フィクサーとの親分・子分関係のなかで仁義を果たす。
その大友は済州島で日本人観光客相手に管理売春しているというのは皮肉だ。男性的な視点しか持ち得ず、それだけが美学>>続きを読む
原因を語らない、原因を追わないというゾンビ映画の鉄則にのっとり、それによって社会なるものを描こうとするのは、ロメロの系譜である。
かつて『グエムル』のような朝鮮戦争と軍事独裁の残滓から韓国を描くので>>続きを読む
黒人差別の問題でもあるし、女性に対するガラスの天井の問題でもある。そして東西冷戦の問題も描かれている。
能力と肌の色にも、能力と性別にも何の因果関係もないわけだ。それを証明する彼女たちの活躍はすばら>>続きを読む
1980年代末、アクトアップ・パリの活動を描いている。いわゆるエイズ・パニックの時代。
主人公の青年が初めてのアナルセックスで感染して死んでいくのは、わたしにとってはダムタイプの古橋悌二さんを思い起>>続きを読む
「運命」という言葉が、宗教側からもダメ親父の側からも出てくる。最後には親父も自分の過ちを神にすがることでやり過ごそうとする。運命や信仰が、別文脈に乗り替わっていく描き方は良かった。
抜け出せない家族や>>続きを読む
米政府のマッチポンプ。反共主義の内実が、麻薬と銃の蔓延だったと。しかも民間人を中継点にして、最後は使い捨てる。
前作はoccupy Wall Street 運動の影響を反映していた。今回は薬物依存の問題から、政府による国民の処分を問題化した。元薬物依存症患者だったエルトン・ジョン(本人)の出演もあった。薬物の蔓>>続きを読む
孵卵器としての「少年」の身体。
産む性と、それを猶予された身体としての「少女」イメージを逆手にとっているとも言える。
一瞬だが、「一方通行」の道路標識が映し出される。あの辺りから松田と長澤の関係が反転しはじめているように思えた。
一方通行だった夫婦関係、一方通行だった宇宙人と地球人の関係が、双方向になり、やがて愛の>>続きを読む
冒頭、1992年のアパートでTVに映ってたのは、ロス暴動ではないか? ロドニー・キング事件の無罪判決からの暴動。
しかも場所が、カリフォルニア州オークランド。ヒューイ・ニュートンやボビー・シールがブ>>続きを読む
アンデルセンの人魚姫の物語を反転させてあるよね。
助けなければ人でなくなる。人間的であることが、結果として人間でなくなる物語でもある。亡形の交りとは、そうした命懸けの飛躍でもあるのだね。
音ではな>>続きを読む
復讐の憤怒を向けたはずの相手は期待とはまったく反対の反応をする。つまり観客の欲望も裏切られ続けることになる。肩すかしを食らい続ける。しかしそこにしか希望がないという構成。復讐が果たされないからそこ赦し>>続きを読む
交差点で黒人下院議員を取り囲んでいる群衆の中から「ストークリーを呼べ!」と叫んだのがよかった。SNCCの議長のストークリー・カーマイケルのことだ。この時期の黒人運動の中で「ブラック・パワー」を叫んだ初>>続きを読む
ところどころ、不思議なカットがあった。道で口論になった男性が歩いていくシーン。ドラムスの男の子のアップとか。伏線でもなんでもないけれど、「人生の地図」にはそういうものも書き込まれるんだろう。
振り返>>続きを読む
最初に窪田くんが洗面台で自分の目を認識するシーンがよい。最初は人間の瞳にめがいくが、赤目の瞳孔が微妙に変化することで赤目に観客の注意が向くようになってた。ピン送りみたいな技法だ。微妙な表現だが、人間か>>続きを読む