ほぼカルト作品と言っても過言ではない演出に混乱するのは間違いないが、絶対に鑑賞後なにか残ります。
「想像力が働いている時にしか見えないものがある」
多くを語らない打ち上げ花火に、なにを感じるか?
日本三大花火の一つ長岡花火に平和への祈りを託すべく、文脈を与える2時間30分。脈絡を得たラスト長岡花火の映像、カメラ越しであっても圧巻の迫力を感じる。
伝えるべきことが溢れて止まらないと言わんばかりにカット割を多用。メッセージを伝えるために回りくどいことはしない。時にカメラ目線で直接語りかける。自然体が良しとされるなか、意図的に連発される不自然。滲み出る「伝えたい」という圧倒的なパワー。
いつか長岡の花火を見てみたい。今作で培った想像力を働かせて。
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「攻撃するのが文明で攻撃されるのが文化だ」
「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな」
「世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げるぞ!」
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宇多丸さんの評論内で大林監督の書籍『夢の色、めまいの時』に記載されていた本作に深くかかわる演出論を引用されていたので、拝借して追記します。
「(映画は)24回の画も見せるけど、その間の24回の闇も見せる。闇は観る人の個人的な体験とか思いの領域となる」
「いつでも女優さんの肉体を封じ込めるところからはじめます。封じ込められた肉体は痛い痛いと叫びだします。そこから虚と実が出会うのです。役が生きてくるのです。人間を描くというのは生身の女優さんの生きた仕草を描写することではないのです。役という絵空事に生命感を与えることなのです。」