ハマちゃん

ボーはおそれているのハマちゃんのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
3.9
【解説・考察】ボーはおそれている

難解すぎた。
以降考察を記載する

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ボーの日常パート・事故後パート・裁判パートと大きく分けて3つのパートに分かれている。

裁判パートで答え合わせかと思いきやここでもちんぷんかんぷん。
ん?ド悪魔みたいな目つきのタトゥーに追われてアパートに逃げ込んだあのシーンは実は物乞いの、か弱き子供だったの?

だがこのシーンが何となくこの映画の全体像を明確にする取っ掛りになったと思う。


結論から言おう(持論なのであしからず)


この物語はボーの

「走馬灯」

の物語ではないだろうか。


そう考えるといくつか納得のいくものがある。
走馬灯とは死ぬ前に見る自分の記憶の追体験である。
だが自分の人生、記憶にも心残りや目を瞑りたい思い出などもあるだろう。

そういったものは

【都合よく解釈】

なので最後の検察?(もし走馬灯なら天国か地獄に落ちるために振るいにかけられているという解釈になるためあれは、あの世の検察と言った所か)
側の証言と私達が見たボーの都合よく解釈・脚色した映像に不一致があっても納得出来る。

そうなると

鍵や荷物を盗まれた!→あれは生前母親の元に行く予定をキャンセルしたいがための造り話。
(母親も嘘って言い切ってたし)

音を下げろとの苦情も事実なのであろう。

水道が止まっている・アパートから出る→実家が太いのにも関わらずあんなスラムみたいなところに在住していたのは縁を切ったからなのか母親の援助はなさそうに見える。
カードも止まってたし現金もない。
稼ぐ力がなく水道を止められたのか、家を飛び出したのもやむ得なかった感があったがそう考えると経済力の面で″追い出された″方が自然かもしれない。

居候生活について→居候エピソードは本当だとおもう。
あの事故シーンで命を本当は落としている?とも考えたが日常パートと思われるシーンはどう見ても″非″日常だったし最初から走馬灯と考えないとタトゥー男が実は子供。だった説明が付かない。
部屋を借していた娘が「お父さんとお母さんを私から奪った!!」というのもなんだかしらの形で

→見知らぬ家族にお世話になる(たぶんポスターで描かれているボーが若い頃に)

→息子を無くしてた失意の中、お節介な夫婦からするとボーは息子のように可愛がられたのだろう。

→家族に私利私欲の限りをぶつけ崩壊させる。(ボーはどちゃクソクズ男と考えると、もしかしたらあそこにいたデブこそがボーの異質な存在感を表していたのかもしれない)

→娘発狂(この流れよくある家族崩壊あるあるパターン)

そして娘からの避難の言葉と自殺。
は実際あったことだろう。

私たちから映画(走馬灯)を通してみると
仕方ない。娘が狂ってる。と解釈できるが最後有罪になったところをみると私達が目で見た情報は正しいと断定できない。

森の中の演劇→誰もが1度は考えることだが「もし」の世界線を演劇を通してボーと一緒に見ている。内容は

自ら母親の呪縛を解いて山あり谷ありの人生を謳歌している。(結構おもろい)
最後は童貞という事実に自己破綻を起こし引き戻される。

実家帰宅パート→爆発物と足首のデバイスを用いて実家に引き戻されるというなんとも母親の力誇示が満ち溢れているスタート。母親を受け入れれば楽なのだろう。ボー自身も母親が何故あれだけ秘密主義で自分に厳しくしていたか。
それは父親があれだけ刺しても反撃してくる化け物だから?!
...お母さん僕を守ってくれてありがとう。
もう逆らわないよ。

とラストを迎えるかと思いきやボーの中では今までの人生を納得させるには憎しみが重すぎたのだろう。首を絞め最後は母親を殺してしまう。自ら作った母親を許すストーリー。だけどそれをも凌駕するくらい、お母さん憎かったんだね。

最後の心残りであった初恋相手とのセッション。そして母親に復讐を済ませて無事ボーの物語は終幕に向かっていく。

ボートを見つけその場から逃げ、心の平穏を求め漕ぎ続ける。

エンドロールにここで入ればボーの物語は実際にあった人生のストーリーよりかは幾分マシな見え方になっていたかもしれない。
だがここで日常パートの壁の落書き伏線回収。

【神はあなたの罪をすべて知っている。】
(確かそんな感じのこと書かれてた)

川がコロシアムみたいなものに囲まれボーを裁く場へと変貌する。
ボーが都合よく解釈していたエピソードの偽りが剥がされていく。
タトゥー男が か弱き孤児。
この情報と観客の冷たい視線で十分だ。

ボーから見た世界(映画)には、ボーの都合ありきで物語が進んでいる。
有罪。上からなにか鉄槌のようなものが振り下ろされボーは悪人が如く沈められる。


ボーの人生きっと狂ったきっかけは、50%は母親の歪んだ管理教育、もう50%は出産時の不手際(冒頭シーン)で頭を打ち障害を持って生まれ、地に落ちてしまったのだと思う(映画の中では良い奴だったけどここまでの内容の主人公に対して障害者のレッテルまで付けるの恐ろしすぎるアリアスター)
孤児を無視し、恩のある家族を崩壊させ、私利私欲のために生き、死んだのだと思う。(″水″で苦しむシーンが多いので溺死だろうか)

走馬灯の内容はボーを幸せにするものだった。
その歪んだ妄想がラスト、裁判の場にいた観客を凍りつかせボーの悲痛な叫びに対しても観客は冷たく無視を貫いたのだと思う。

冒頭でもあった通りボーは何事にもネガティブで常に何か緊迫した表情をしている。
母親からの呪縛、ご近所付き合い、金銭面、童貞や障害へのコンプレックス、トラブルが起きた時の無力感、何かある事に自我は持てず人の意見でないと動けない。
全ての事柄に対して自ら解決した経験が無い。
孤児から逃げる所から始まり、アパートから逃げ、お世話になった家族から逃げ、森から逃げ、最後は実家からも逃げる。
そういった人生。

けれども最後は母親と歪んだ形であれ向き合おうとするのは偉い。ハッピーエンドに繋がって欲しかった。だが今までに歩んできたものはそう簡単には消えない。

周りのものを全て憎んでいる。という感情でも生まれれば″何か″を成し遂げる活力に変わった可能性も大いに考えられる。
だがこの映画はそんな感じではないと皆さんもお気づきだろう。なによりもそう、

ボーはおそれている