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すべて、至るところにあるのdaisukeookaのレビュー・感想・評価

すべて、至るところにある(2023年製作の映画)
4.8
放浪の映画監督・リム・カーワイの「バルカン半島三部作」の完結編。旅をして、そこで巡り会った発想や人々やハプニングを織り込んで、その場で台詞を考えて、出会った人を口説いて演じてもらう、それを撮る。旅して仕込んで撮って、また次の目的地に旅をして…それを繰り返して撮っていく「シネマ・ドリフター・スタイル」。そんな風に彼が試して取り組んできたことは、ひとまずここでスタイルとして完成したんだろうと思う。

バルカン半島を舞台にした前2作「どこでもない、ここしかない No Where, Now Here」(2018)「いつか、どこかで Somewhen, Somewhere」(2019)も今作も、物語が連作になっているというわけじゃない。だから、今作「すべて、至るところにある Everything, Everywhere」を初見で観ても充分楽しめる。今回初見の人には、観た後で前2作を振り返って楽しんで欲しい。

一般に思いつくような世界中の地域や国々に比べて、バルカンなんて地の果てだ。そんなところまで行って初めて気付いたことがきっとあるんだろう。そこにはまるで異星からきたようなスポメニック(旧共産圏の巨大モニュメント)がゴロゴロしていて、ポップな外見はなんだか楽しいくらいなんだけど、コロナ禍やウクライナ侵攻の抑圧は容赦なく伝わってくる。

前2作のリム監督の視点「撮る対象に近づきすぎない、構わない」という距離感は、今作でいささか変わった。リム監督の写し身のような映画監督ジェイ(尚玄)と、彼に撮られた女・エヴァ(アデラ・ソー)。エヴァが姿を消したジェイを追ってバルカン半島を旅して回る。ジェイが訪れたカフェの常連のオヤジたちは、戦争での凄惨な経験を語る。ジェイが作った映画(=リム監督自身が作った映画)に出演したファルディという男は「お前のせいでおれの家庭は荒れた。もうお前には協力しない」とさえ言う。つまり、前2作でイイ具合に保たれていた距離感が揺らいでいる。オヤジたちは迫ってきて、前の友人は離れようとしている。

そこで、リム監督独特の「距離感」は自身の内側に向いたのか。コロナ禍やウクライナ侵攻で、前2作よりも明らかに時代が変わった。一方で「インディペンデント映画」という存在を取り巻く貧しい状況はちっとも変わらない。自分はどうする?変わるのか?変わらないでいるのか? そもそも何故映画なんてものを作りたがるんだ? ジェイの苦悩は他ならぬリム監督の苦悩で、リム監督の過去作がジェイの過去作として劇中に登場して、現実とフィクションが入れ子になっていく。バルカンの独特な風土とメタフィクションが絡まり合って、このユニークさは他のどの映画でもなかなか味わえるもんじゃない。本当に「観る」しかない。

抑圧を迎える世界を旅して、自身の苦悩に向き合うジェイの選択。そのカットが結構ステキだ。去ったジェイが遺したものを皆の前でカタチにするエヴァの選択もステキだ。やっぱりリム監督は優しくて温かい。自分の苦悩を映画に背負わせず、誰もが愉しめる一本の独立した映画として旅立たせた。やっぱり旅したいなーと思う。単純に、何も考えずに、ただ直感を頼りにして。

観た後にリム監督に訊いたら、ファルディが劇中で怒っていたのは芝居じゃなくてガチだったらしい。そんなふうに怒る男を、また映画に引っ張り込んで、そのとおりに怒りを演じさせている。どうすればそんなふうに人を動かせるんだろう。あらためてリム監督の人徳に舌を巻いている。
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