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あの夏、いちばん静かな海。のnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.5
 横須賀の埠頭、青い海は波が立っているが、さざ波の音は聞こえない。やがて一台のゴミ収集車が埠頭のゴミを回収にやって来る。田向(河原さぶ)の運転でこの地にやって来た聾唖の青年・茂(真木蔵人)は助手席に座りながら、気乗りしないゴミ回収に向かう。埠頭のコンクリートに置かれたゴミを回収する中、「Blue Bunny」と書かれたノーズの折れた青いサーフボードがゴミ捨て場に立てかけられていた。茂はサーフボードをしげしげと眺めながら、回転板式車の中に放り込むのを躊躇している。痺れを切らした田向は、茂を恫喝しながら無理矢理、収集車の助手席に乗せる。車は数十m走った後、茂はUターンし走ってゴミ捨て場に戻る。大事そうに抱えた中古のサーフボードは先端部分が割れていた。発泡スチロールにやすりをかけ、無理矢理接着した急場凌ぎのサーフボードを持って、茂は恋人の貴子(大島弘子)を連れて海へと歩く。茂の恋人の貴子もまた、聾唖者で耳が聞こえない。常連のサーファーたちや、サッカーをやっている旧友たちの冷たい視線、放り投げられた石を避けながら、横倒しにしたサーフボードを前後で持った茂と貴子は満ち足りた表情を浮かべている。やがて波の荒い海に出るが、素人がくっ付けただけのサーフボードは波に洗われ、無情にも壊れる。福沢諭吉を6枚握りしめて現れたサーフ・ショップ。茂がショー・ウィンドウの外で見守る中、貴子は6万円を握りしめ、8万円のボードを指差し、値引きの交渉をするが素っ気なく断られる。

 耳が聞こえないマイノリティ同士の恋は、どういうわけか手話を使おうとしない。『その男、凶暴につき』における我妻諒介(ビートたけし)と妹の灯(川上麻衣子)、『3-4x10月』の雅樹(柳ユーレイ)とサヤカ(石田ゆり子)同様に、男と女の関係はただただ寡黙に過ぎる。だが今作の関係性はマイノリティ同士の恋をテーマに据えたというよりもむしろ、北野武が表現したかったであろうピュアな2人の純愛をミニマムに紡ぐためのものだろう。今作において2人の出会いはおろか、家族関係すらも一切明示されることはない。茂と貴子は開巻早々、既に恋仲にあるのだが、その関係性を埋めるのは会話劇ではなく、ただひたすら青い海に帰結する。茂が昼食休憩中に熱心に見つめたサーフ・マガジンのスナップ、ボードを抱えながら乗ろうとしたバスへの乗車を断られ、茂が歩いた横須賀の住宅街、貴子は茂の思いを確認出来ないままバスに乗るが、満員だった座席がほとんどゼロになっても、決して席に座ろうとしない。貴子の思いは茂に向いているというよりも、秩序付けられたある社会からはみ出してしまったアウトローとしての茂に寄り添う。2人の間に言葉はおろか、手話の身振りもないことが、我々観客に映像を注意深く凝視させる。持っていたみかんをむいてもらう女(窪田尚美)の砂浜での二度目の誘惑を見て、貴子はどうしようもない苦しさに包まれ、静かにその場を立ち去る。ここでは「アンタ、この女誰よ?」というような下世話な会話は完全に省かれ、ただ男女の身振りの中に喜怒哀楽が滲む。茂が白い靴を真上に放り投げた動作に放心状態の貴子は気付けず、窓ガラスを突き破る石が投げ入れられた瞬間、茂の本心に気付く。貴子の左目からふいに流れた一筋の涙、2人が僅かに写った1枚の写真だけが雄弁に物語るクライマックスと久石譲のメロディには、何度観ても涙腺が緩む。
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