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喜劇 女は度胸のKuutaのレビュー・感想・評価

喜劇 女は度胸(1969年製作の映画)
4.2
森崎東は終戦の翌日、兄を割腹自殺で亡くした。軍人だった兄は「みんなもう何かバラバラだ、嘘だ」と最後の日記に書いた。

優秀な兄に嫉妬心を抱いていた森崎は、過去への後悔と、未来への絶望に沈んだ彼の選択に怒りすら覚えたという。そうした想いは、監督デビュー作の今作にも克明に刻まれている。

忘れようとしてきた戦争の混乱、歪に去勢されてしまった日本の男の姿が、家族の諍いの根っこにある。舞台となる羽田空港は、米軍によって機能拡張がなされ、返還後は東京五輪に向かって整備が進んだ場所。戦争の傷を抱えながらも、あくまで未来に向かおうとする高度経済成長期のポジティブな視線が、浮揚する飛行機へと向けられている。

ラストシーン、「地に足付いた」生活者の矜持を示す洗濯物が捉えられる。情けない男たちのパンツが、旗のようになびく。その向こう側に、飛行機が飛んでいく。母の力によって、日常と非日常、現在と過去(兄と弟)が交差し、その先に希望が垣間見える。

冒頭からの激しい横パンが「上下の視線」の不在を印象付ける。1人の世界に引きこもっていた主人公(河原崎健三)は、階段からの「落下」を繰り返す事で、肥溜めから上を向く力を取り戻していく(その過程では重力に引っ張られすぎて、ゲロを吐いたり、飛び降り自殺すら考える)。最後に恋人と共に海へ落下し、朝日を見上げる。

兄(渥美清)はボットン便所に始まり、トラックの荷台でセックスしようとして転げ落ちるなど、最初から重力の中に生きている(作中で唯一、俯瞰ショットが使われるのも彼のシーン)。渥美清の存在の異質感が、ちゃんとストーリーとして回収されているのも素晴らしい。

日本を背負い、空港に向かって取り付けられた「家電」のネオン広告と、その下で暮らす人々の対比。母親(清川虹子)は家の中で小さなランプを頼りに、はんだ付けに勤しむ。

座り続けていた彼女が、終盤で「立つ」「歩く」事で硬直した家族関係が揺らぎ、男たちの意識が変わる。ほとんどの場面で下を向き、黙々と内職に励んでいた彼女が、主人公が「家を出る」と述べる瞬間、その決意を確かめるように上げる目線が印象的だ。

母の態度を受けて、父親は一度も画面に映らなかった表彰状を壁から取り外し、上への目線を取り戻す。母親はその表彰状を誇らしげに見つめる。

人物関係のすれ違いが全部ギャグに変わって回収される終盤の会話劇&ど付き合いは、テンポも抜群でひたすら楽しい。家と家の間、どこでもない中間領域で初めて語られる本音が、家族を土台から作り直していく。85点。
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