T太郎

戦場にかける橋のT太郎のレビュー・感想・評価

戦場にかける橋(1957年製作の映画)
3.8
971
久しぶりに鑑賞した。
たまにはクラシック映画でも、という事で戦争映画の名作である本作を手に取った次第である。

前半は概ね史実に則った展開。
後半は完全フィクションの冒険ものといった感じだ。

第二次世界大戦中の東南アジアが舞台だ。
タイとミャンマーを結ぶ泰緬鉄道。
日本軍は連合国捕虜と現地の住民を使って(日本兵も)この鉄道を建設した。
これはただのインフラ整備のためではなく、日本軍の作戦行動に利するためのものである。

非情に過酷かつ劣悪な労働環境だったらしい。
数万人規模の死者を出したという。
死因は多岐にわたる。
病死、事故死、処刑、自殺、過労死・・・

これにより、戦後の軍事法廷では多くの日本人B・C級戦犯が断罪され処刑されたのだ。

前半はそれらに即した内容が描かれている。
日本軍捕虜収容所の捕虜に対する待遇のひどさ、虐待、暴力。

我々日本人としては非情に居心地の悪い展開だ。
確かに当時の日本軍は暴力的だったかもしれない。
捕虜に対するビンタで戦犯になった者もいるが、日本兵も普通にビンタされていたのだ。
当時は。

東京裁判をはじめとする日本に対する軍事裁判は、文化の違いなどは考慮外だったのだ。

捕虜の食事に、ごぼうを出したという事で処刑された者もいたらしい。
捕虜に木の根を食べさせたからだとか。
いや、根菜やし。
全くひどい話である。

連合国側にも明らかな戦争犯罪があったにも関わらず、裁かれたのは敗戦国だけという一事を見ても、色々言いたくなる。

それはさて置き、この作品で描かれている“橋”は、クワイ川に架けられた泰緬鉄道のそれの事だ。

相当酷い労働状況だったらしい。
多分、この映画で描かれている以上の苛烈さだったと思われる。

そこに投入されたイギリス軍捕虜たち。
彼らは陽気で勇壮なマーチに乗せて颯爽と収容所に到着する。
指揮を執るのはニコルソン大佐(アレック・ギネス)だ。

それを冷ややかに見つめる収容所の所長の斉藤大佐(早川雪洲)。
彼は、捕虜はもはや軍人ではない、ただ働けばいい、と言う。

二人の大佐はことごとく対立する。
工事の完成を最優先にし、捕虜を非人道的に扱う斉藤大佐と規則の遵守を主張し、軍人としての誇りを忘れないニコルソン大佐。

この二人の関係性がどう変わっていくのかが、見どころの一つでもある。

もう一人、シアーズ中佐(ウィリアム・ホールデン)というアメリカ人の捕虜がいる。
彼はひたすら軍からの除隊を夢見ており、まんまと収容所からの脱走に成功するのだ。

後半は一挙にフィクション感が増す。

シアーズが、橋の爆破という任務を与えられ、イギリス軍の“決死隊”とともに再び現地に潜入するのだ。
(↑フィクション)

また、橋の建設においては、主導権をイギリス人捕虜が握り、一気に工事が円滑に進捗していくのである。
(↑フィクション)
工事の遅れは、日本軍が作成した設計図や場所の選定、工事の指揮が悪いからだ。
イギリス側がやれば、もっと上手くできる。
という訳だ。

これはかなり日本軍を馬鹿にした設定だ。
斉藤大佐は立つ瀬がない。

しかし、実際当時の日本軍が非合理的で融通性のない組織だった事も、ある意味正しいと言える。

なんの生産性もない理不尽な命令や慣習が
まかり通っていた印象が、私にはあるのだ。

“生きて虜囚の辱めを受けず“という考え方のせいで、玉砕などという悲劇もあちこちの戦場で起こっている。

中途半端に終わった真珠湾攻撃やミッドウェー海戦の失敗などは、指揮官の判断ミスとともに柔軟性の欠如も大きかったように思うのだ。

何はともあれ、後半はクワイ川の渓谷に向かう決死隊がメインとなっている。
パラシュートで降下した地点から、野を越え山を越え!歩きに歩いて目的地に向かう。

ここで登場するのが、決死隊の荷物持ちとして雇われた5、6人のタイ人女性たちだ。
男性はほとんどが泰緬鉄道の工事に駆り出されているので・・・という事らしい。

それにしても全員カワイイ。
一人一人の見分けはつかないのだが、なんせカワイイのだ。
男だらけの物語の中で、まさしく一服の清涼剤である。

しかし、がっちり装備を固めた決死隊の面々と違って、彼女たちは完全に普段着に見える。
特に靴だ。
長距離の不整地を踏破できるような靴など履いていないと思うのだが、どうだろう。

その上、あの荷物である。
恐ろしくタフな女性たちだ。
しかも、カワイイときている。
決死隊の面々もメロメロだ。
さすが微笑みの国だと言わざるを得ないであろう。

私はタイに行きたい・・・
T太郎

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