ぷかしりまる

炎628のぷかしりまるのネタバレレビュー・内容・結末

炎628(1985年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

⚠️引用したセリフは原文ママではありません

ドイツ兵がパルチザンに捕まって命乞いをする時に「人を憎んだことなど一度もない」と弁明を行う。これまで触れてきた『日本鬼子』や『私は「蟻の兵隊」だった』と重なっていて納得した。相手が憎いから虐殺を行えるのではなく、相手を人間とさえ感じないから、殺せてしまう。それは繰り返される、家畜が撃たれるショットにも表れていた。別の兵士の「共産主義者は劣等種族であり、その芽を摘む必要がある」というセリフも、言葉を変えて同じことを主張している。
ナチスはユダヤ人にともに住むことを禁止し(ゲットー)果てには生きることを禁止したが(絶滅収容所)自分たちと違う属性であると区別することが、いともたやすく排除に繋がってしまうことを、考えていきたいと思う。自分自身が、さまざまな点でマジョリティであることの特権を思う。

「悪いのは戦争であって自分たちは被害者」という言葉も素晴らしかった。この映画を観た者が安易に「戦争は悪」と口にすることを封じるから。戦争の被害者として、その加害性を問われないでおこうとする態度。加害性について知ることは、被害性を弱めることではない。
現実に際し、イスラエルがホロコーストを国民統合の象徴として利用し、植民地主義の正当化に役立てていることだったり、八月ジャーナリズムの功罪が思い出される。

そして戦争におけるスペクタクル性が強調されていた。虐殺に際しての火炎放射や一斉射撃、火柱もそうだし、強制連行は楽器や踊りでお祭り騒ぎだ。観客(虐殺者)がそれに飽きてサッサと帰っていく後ろ姿と、黒煙のなか地面にうずくまる主人公の対比が素晴らしい。ジャケットの場面もそうだ。他者の恐怖が楽しみのスパイスに過ぎなくなっている。
主人公が人の雪崩の中で「このままだと殺されるぞ!」と必死に叫んでいるのに、混乱と恐怖の中ではもはや流れを止めることができない。忘れられない場面だ