Arata

バスキアのArataのレビュー・感想・評価

バスキア(1996年製作の映画)
3.7
一月上旬の事。
今作鑑賞の前日に、1959年の映画「渚にて」を鑑賞。敬称略。


「渚にて」でテーマ曲などで使用されていた楽曲が、オーストラリアを代表する国民的な人気曲で、第二の国歌とさえ言われている「Waltzing Matilda」だった。
そこから、今作の終盤に使用されているトム・ウェイツのトム・トラバーズ・ブルースと言う、Waltzing Matildの一部が引用されている、同氏の代表曲を連想し再鑑賞。前回からは、実に20年振りくらい。おそらく、かっこいい曲がかかる映画と言う事で、どなたかにおすすめされたのだろう。
上述の曲以外にもオープニングのポーグスの「ニューヨークの夢」から始まる、時代を象徴するかの様な沢山の名曲の数々は、バスキア本人の所蔵レコードの中から厳選された物らしい。
その他、PIL、ローリングストーンズ、ボブディラン、マイルスデイビス、チャーリーパーカー、ディジーガレスピー、などなど本当にどの曲も素晴らしい。

また、キャストも大変に豪華で、各人の演技もとても良い。


伝記映画なので、多少の脚色くらいはあるだろうが、基本的には史実に基づいているはずなので、あらすじなどは記載しない。

ストーリー自体は、1人の人間の一生としては壮絶で劇的なものではあるが、映画としてはやや面白みにかける。
題材が唯一無二なだけに惜しいと感じた。

ところどころ、バスキアの妄想とも、映画としてのファンタジー演出とも、どちらとも言えそうな、人形劇やサーフィンの映像など、サブリミナル的に心情を表現するかの様な実験的な表現があり、見ていてとても面白い。
エンドロールの最後、リフレインするサーフィンの映像もお見逃しなく。
名役者さん達の演技の良さも、映像の面白さの一端を担っている。
構図など、とてもアーティスティックで良い雰囲気。


よく言えばストリートアート、悪く言えば落書きだらけのニューヨーク、当時のファッション、退廃的な生き方の若者、1980年代と言う時代性も大いに感じられる。


家と言うものにとらわれず、自己表現の場もわきまえず、人間関係を考慮せずに自らを売り込み、何事もやりたい様にやっている姿は、まるでこう言う生き方しか出来なかった若い頃の自分の様だった。

最近、いつもお世話になっている方とお話しをさせていただいた際に、その方が最近読んでいる本の話題となり、橘玲著「バカと無知(新潮新書)」の中に、「バカな人ほど言葉が強く、故に周りが引っ張られ、社会全体がバカになる」と言う内容の記述があるのだと言われ、私も含めその場に居合わせた皆が妙に納得したと言う事があった。
バスキアが映画の中で、友人の娘の肖像画を描いていたが、ハッキリ言ってヘタクソな絵だった。つまり、しっかりとした基礎的な絵画の技術を擁していないと言う事なのだろう。
先程の「バカと無知」の文脈で言うと、「彼の絵はバカで無知が故に、力強い」と言う事になる。
あらゆる表現活動において、活動初期の「荒削りだった頃の方が好みだった」と言う事がままあるが、それはすなわちこれにあたると思われる。

以前何かのインタビューで、現クロマニヨンズの甲本ヒロトさんが「ロックのピークは、教室でホウキをギターに見立てて暴れた瞬間。コードを覚えた時から、輝きが薄れていく」と言った内容のお話しをされていたのを思い出す。


彼は27歳で早逝してしまうが、仮に彼が長生きをしていたら、どんな絵を描いているのだろうか。少しずつ絵が上達したとしても、彼の絵から溢れ出すエネルギーは、その後も失われずに描き続けていられただろうか。などと考えてしまった。

天才的な芸術家が27歳で亡くなってしまうと言う不思議な偶然を、何かの因果による不吉な一致と考えられている「27クラブ」なるものが存在するが、バスキアもそのメンバーである。
有名なメンバーは、ロバート・ジョンソン、ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、カート・コバーン、エイミー・ワインハウスなど、ミュージシャンが多い。

27歳で亡くなると言う事は、およそ一万日しか生きていないと言う事。
幼い頃は、早逝願望の様な、一種の歪んだ憧れがあったが、今は出来る限り元気に長く生きていたいと考えている。
そして、若さが故に溢れ出るエネルギーの表現とは違う、年齢を重ねた事による深みや、修練などにより会得した技術でしか表現出来ない、そんなものを追求していきたい。

目指せ4万日!(109歳)
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