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パンチドランク・ラブのnetfilmsのレビュー・感想・評価

パンチドランク・ラブ(2002年製作の映画)
4.1
 『ブギーナイツ』、『マグノリア』と同じL.A.郊外のサンフェルナンド・ヴァレー。風変わりな商品ばかりを扱う卸売会社の経営者であるバリー・イーガン(アダム・サンドラー)は朝陽が輝く早朝から、倉庫の一室に篭り何やら電話をしている。なかなか繋がらないことに苛立ち、ブツブツ独り言を話す男の机はどういうわけか中央にではなく、少し奥まった所にある。「マイレージが貯まる商品について聞きたいのですが?」そう話す男はヘルシー・チョイス食品の10個で500マイル、10個で期間限定で2倍の1000マイル貯まるキャンペーンについてやたら聞きたがっている。要領を得ない電話の後、水筒に入れた紅茶を飲みながら、眩しい朝陽の反射する方向をじっと見ながら、やがてギシギシ音のする道路側へ歩み寄ると、突然目の前でトラックが派手に横転する。しばし呆気にとられた表情を見せるバリーの元に、今度は対向車線から走って来た赤いトラックが、ブラウンのハーモニウムを一台置いて立ち去る。まるで前作『マグノリア』の奇跡のような祝祭空間の後、怖くなったバリーは100m奥まったところにある倉庫へ引っ込むのだが、道路側から今度は一台の車がハーモニウムを避けながらこちらへ近付いて来る。中から出て来たリナ・レナード(エミリー・ワトソン)は隣の修理工場へ車を預けに来たというのだが、女性不信の気のあるバリーはぶっきらぼうな対応をする。それがバリーとリナの最初の出会いだった。

 今作にはこれまでのPTA作品のように、主人公を導くメンターのような初老の男は登場しない。その代わりに天涯孤独だったら最悪だなと思っていた強迫神経症的な主人公の元には、実に7人もの母親代わりの姉がおり、取っ替え引っ替え彼に過干渉するのだ。そもそも彼と相棒であるランス(ルイス・ガスマン)が業者にプレゼンしている「ツマリトール」なる商品がさっぱりわけがわからないのだが 笑(ホームセンターに普通に売っているトイレのラバーカップにしか見えない 笑)、南米系の従業員たちを複数抱える工場では姉たちのテレフォン・コールにより商売が成り立たない。結婚適齢期の弟に業を煮やすかのように、やがて何番目なのかわからない姉エリザベス(メアリー・リン・ライスカブ)が会社の同僚であるリナ・レナードを連れてやって来るのだが、これがバリーとリナとの2度目の出会いである。しかし当のバリーはヒステリックな姉たちの姿にビクつき、内へ内へと逃げて行く。もともとこの倉庫兼工場自体が道路から100mほど奥まった場所にあり、さながら彼の社長室と呼ぶべき場所も敷地内の一番奥にあり、天井の高い倉庫の中にあえてプレハブ小屋で空間に仕切りを作っている。この尋常ならざる逃げ腰な描写からバリー・イーガンが何らかの精神疾患を抱えていることは明らかだが、それが顕著になるのは初めての家族パーティの場面である。幸せそうな喧騒を見ると、なぜかあまりにも息苦しく、孤独な世界に逃げたくなるバリーの癇癪が明るみに出た時、この男の病巣は予想外に深いと思い知らされるのだ。

 降って湧いたような幸福な奇跡を、男の心の迷いがいとも簡単に吹き飛ばしてしまう。これまでのPTA作品では、登場人物たちの薄皮1枚のメッキのようなカリスマ性が剥がれ、やがて真実の姿が白日の下に晒されるのだが、今作でもバリー・イーガンの唯一隠したい秘密は、その秘密を受信した側から執拗に脅迫され、危機を迎える。実際に彼はテレフォン・セックスよりも精神の平穏のためにダイアルQ2を利用したのだが、そんな彼の精神疾患など知る由もなく、カリフォルニアから距離のあるユタ州プロボからディーン・トランベル(フィリップ・シーモア・ホフマン)の4兄弟が実力行使に出て来る。バリー・イーガンは母親代わりの姉たちの抑圧のトラウマにより、最初からコミュニケーション不全の人間であり、普通ならインターネットの世界(匿名性の担保)で幾重もの人格を重ね続けるはずだが、今作はあえて物語の中で対面のコミュニケーションの対義語として、何度も繰り返し家電話や電話BOX(間違っても携帯電話ではない)を設ける。当初は7姉妹の軋轢に遭い、身動きも取れなかったバリー・イーガンは、彼の家族写真を見て一目惚れしたリナによって、意外な形で救い出される。アンダーソンはそれを『パンチドランク・ラブ』と形容する。まるでロバート・アルトマンの『ポパイ』へオマージュを捧げたようなShelley Duvallの『He Needs Me』が流れる中、バリーとリナは又しても運命の再会を果たす。「あなたを噛みたい」「キミを叩き潰したい」とイかれた言動を繰り返すメンヘラ気味のカップルの恋は奇跡を起こす。あれしかないというようなフィリップ・シーモア・ホフマンのユタ州にある家具店のロケーションの素晴らしさ 笑。電話線を引き千切りながら走るバリー・イーガンの妙な可笑しさが何度観ても素晴らしい。今作はアンダーソン作品の中で例外的に95分の美し過ぎる小品であり、見事カンヌの頂点に立った。
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