のわ

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序ののわのレビュー・感想・評価

4.0
碇シンジが瞳に宿しているもの 


オーケストラを起用しメインカルチャーの恩恵を受けながら当時、 オタク文化アニメからの脱却を試みた。

本作を見ているとオイディプス神話のことを考えてしまう。

碇シンジは父性へのエディプスコンプレックスを綾波レイに抱いていたと思う。

自身の父に執着するシンジは父からの寵愛を受け取る綾波レイに少なからず嫉妬の感情があったのではないか、ヤシマ作戦への前、笑みを浮かべながら話す綾波レイと碇ゲンドウを目撃したシーンで僕はそんなことを思った。

綾波レイという少女はどんな人物なのだろう。哲学では赤子を真っ白な石版と表現する。僕が感じた綾波レイの印象はそんなものだった。碇ゲンドウに乗れと言われたら、迷わずエヴァンゲリオンに乗る。どこか幼さを感じる中に確かに影があった。本作での転換期は恐らく、碇シンジが綾波レイと出会ってしまった瞬間だったと思う。いたいけな少女がその身を滅ぼそうとする時に彼は、エヴァンゲリオンに乗る。そこから綾波レイと関わっていく中で綾波レイの瞳の中に碇シンジが抱く母性を見つけたのではないか、きっと綾波レイに自身の母を投影していた。そうやって碇シンジは綾波レイに惹かれていくんだと思う。そうしたことで碇ゲンドウはオイディプス王の悲劇に順調に駒を進めていく。綾波レイを(母親)を取られまいと自身の父である碇ゲンドウを破滅へと導く存在なのか。

    機械じみた体から発散される血液を含めたあらゆる液体、個体の表面的なグロを享受し、本作を拒絶するのもまた、本作の楽しみ方だと思う。しかし、あらゆるグロの裏に潜む、情緒的な美しさに触れたというのなら、それは監督が描いたエヴァンゲリオンは僕らの体と確かにリンクさせながら、一線を画している。体液すら後ろで鳴らされるクラシックの恩恵を受けながら神秘的と思わせることでエヴァンゲリオンは成り立っていると思った。ここから碇シンジを取り巻く世界の変貌や彼自身の跳躍を見守っていきたい。
のわ

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