のわ

さよならの朝に約束の花をかざろうののわのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

僕たちは願わずにはいられない。


僕たちは生と死を繰り返す螺旋にとらわれ続けている。その循環から逃れることはできず、決して壊すわけにはいかない。でももし、その循環の輪に入ることが叶わないのに感情をもつものがいたとしたら、

僕のアルバイト先では、いろんな人が訪れる。性別や人種に関係なく、様々な人が利用し、互いに干渉し合うことはない。しかし、母親や父親に抱かれながら不思議そうに、僕を見つめる子達が時おり訪れ、僕の目を不思議そうに見つめる。僕は見つめ返し、微笑む。反応は様々で親の腕にすがって顔を隠す子や表情を崩さず、こちらをただ不思議そうに見つめ返してくる子、笑顔を返してくれる子、僕は例外なく、そんな真っ白の魂を宿している子達が愛おしくて、「どうかこの先、苦しみを味わうことなく、幸せに生きさせてあげてください」と願わずにはいられない。

この映画は「別れの一族」といわれ、数百年の寿命をもつ「イオルフ」と人間の子が同じ時間をともに生き、親として、子どもとして、また、子どもはやがて親になり、親であったものは死に行く、そんな泡沫を描こうとしていた。

イオルフの少女マキア(CV.石見舞菜香)は密かにクリム(CV.梶裕貴)に思いを寄せ、クリムは一族一番の美女レイリア(CV.茅野愛衣)に恋している。そんな中で長寿の血を求め人間が攻めてくる。

マキアは一人逃れ、そのさきでひとりぼっちの赤ん坊エリアル(CV.入野自由)を見つけ育てようとする。

レイリアはその美貌ゆえ、王の妃にされ、子を生まされる。

美しい世界とは言いがたいものだが、岡田麿里監督はそのなかで世界と人物、時間と空間を関わらせながらも、どこか独立させて描いてきたと思う。

戦争中で何人も死んでいく描写があるにも関わらず、どこか淡白に感じる。しかし、マキアがエリアルやレイリア、クリムの生を望むことで、その淡白さが見ているものの心を揺さぶる。この映画ではメザーテが世界そのものであった。メザーテに囚われているレイリアの苦悩はメザーテが滅べば解決するものでもない。

親と子と言う関係ながらも、ともに少年少女時代を過ごしたミド(CV.佐藤利奈)の家を後にし、マキアは職を探しながら各地を転々とする。「親と子」という関係は崩れないものの、時間は過ぎ、マキアの見た目は少女のまま、エリアルは青年へと移ろっていく。「空間」を移動しながら、マキアとエリアルの「時間」は同じように時を刻んでいない。

そのように世界と人物、時間と空間を完全につなぎ合わすのではなく、苦悩は苦悩のまま、運命は運命のまま、親は親のまま描いていた。そのため、彼らの苦悩は僕たちが抱えているものや抱えていたものであり、もしかしたら、これから向き合う運命かもしれない。
だから、鉛を飲み込んだみたいに重くのし掛かり、僕の心を押し潰すことになった。

命あるものは死んで行く、僕たちはエンディングを知っていながら、永遠なんてないとわかっていながらも、
マキアが幸せな別れがあると言うのなら、
エリアルが守りたい人がいるというのなら
打ちのめされた世界でもレイリアが「こ
んなに美しい世界」だと言うのなら

僕たちは願わずにはいられない。
のわ

のわ