のわ

ガルヴェストンののわのネタバレレビュー・内容・結末

ガルヴェストン(2018年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

儚いから綺麗とか言った。


朝、目が覚めたら僕は泣いていて、雲1つない空にどこか期待しながら、親の運転する車の後部座席に乗り込み、親に見つからないように、またひとしきり泣いて、やがて校門をくぐる。そんな時期にとても大切に抱えていた作品。

僕らが生きていたその時々に大切にしていたものってアイデンティティのように崇めたくなる崇高さがある。作品の良し悪しに関わらず、僕らの体を通り抜けて生まれてきた思いや体験はきっと何者にも変えがたい価値がある。

病によって体が蝕まれていく男、体を売りながら、押し寄せてくる不安と同居する女。男はいずれ来る死を、女は怯えながら生きる生を互いに交換するように逃げていくことになった。

そして、この作品の魅力として僕は、まだ自分が何者かわかっていない少女(リリ・ラインハルト)の存在だと思う。終わりから始まった彼らがこれから人生が始まる少女と共に逃げ、生死を交換する男女を少女は見つめていた。


冷徹な暴力から逃げながらも三人で砂浜に出かけたり、ロイ(ベン・フォスター)とロッキー(エル・ファニング)はデートをする。絶望を知っているからこそ、彼らはきっと美しい。宮沢賢治の描いた「よだかの星」をどこか連想してしまう。結末にはなんとも言えない後味を残す作品だが、彼らが生死の交換の先に確かに繋いだ生はやがて、ロイを訪ね、真実を知ることになる。


ロッキーがどれほど少女を愛していたか。

ロイがどれほど彼女達を愛しているか

少女はなぜ愛してもらえたのか


ロッキーは死にロイは生きる。

ロイはロッキーを死なせてしまい。ロッキーもまたロイを死なせた。僕らがどれだけ望んでも、どれだけ交換しても、死から逃れることはできない。彼がそうであったように。

しかし、そうした深い位置での交換はやがて、誰かに継承され、かつて少女だった女性(リリ・ラインハルト)にも受け継がれていく、ロイとロッキーが繋いだ生を受け取り、彼女は愛し愛され性を交換していく。

ハイファ・アル=マンスール監督の「メアリーの総て」を見てから俳優のエル・ファニングに当時、高校生の僕はあっさり心を奪われた。そうしてこの作品を見て一週間へこんだことを昨日のように覚えている。この作品を見て生き方を変えたり、「頑張るか」と言うポジティブな感情になることはないと思う。僕にとっても見返したくはないし、美しいとは言えない作品だ。しかし、これほど力強い作品を僕は知らない。
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