Melko

オープン・ユア・アイズのMelkoのネタバレレビュー・内容・結末

オープン・ユア・アイズ(1997年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

「君は夢を見てる、と言ったら、どうする?」
「まさか、夢のはずない。現実だ」
「なぜ分かる?」

「バニラ・スカイ」の元作品。
やたら長ったらしくなんだか間延びして感じたリメイク版と違い、こちらは淡々としっかりサスペンスな感じだった。尺も120分、主人公の困惑ぶりとその混沌とした世界を感じるには、妥当な時間だったように思う。

そしてこちらの作品の方が主人公のクソ男ぶりがより際立っていた。リメイク版での「トム・クルーズ=モテ男」みたいな根付いた先入観無しに見れたからこそ、主人公が調子に乗ってる様子や自己中なところを俯瞰で捉えられた分、感情移入はせずとも因果応報/自業自得をしっかり感じられて、この男はどうなってしまうのか、その行き着く先を、リメイク版見てるから展開を全部知ってるのにもかかわらず、物語にどっぷり引き込まれた。
これは元ネタ作品の圧勝な感じがする。

いやー、とにかく主人公セサルが清々しいほどのクソ男だった。だけどこういう男はきっと巷にいる。親友の彼女を涼しい顔で略奪してるのが人間として本当にダメだし、それに慣れっこで常にヘラヘラしてる親友も切ないし、そのクセ「それでも俺たち親友だよな」って友情を確かめ合うのがマジで信じられない。んなわけあるかい。
そして交通事故で大怪我を負い、修復不可能な醜い顔面へ変わってしまい、そこから転落していく人生。身体が健康なことには変わりないのに、やはり見た目に囚われた人生だったのだと、渦中の彼も見ている私も思い知る。歌舞伎町でやりたい放題してるホストに見せてやりたい。人間、些細なことで自尊心あっという間に無くなる。
リメイク版と同じ役を演じたペネロペ・クルスはまだ素朴な面が残る美人。考えてみたら、ちょっと誘われてすぐ鞍替えしたこの子も普通に悪い。

そして、この作品いやらしいわ〜と思ったのは、ラスト。結局セサルは「美醜」から抜け出せず、「醜いままでも、ソフィアたちがいる夢を生きる」のではなく、「顔面修復の望みをかけて夢から醒める/夢の世界で死ぬ(=ソフィアたちはいなくなる)」を選択するということ。
自分がこんなに辛い目に遭ったのは、全部事故で顔が醜くなってしまったせいだ!と言われてる気がして、
あらやだ、ひねくれた考えだわ〜性格悪い、と思いつつ、同じ状況になったら誰でも同じ選択をするかも…?とも思った。

でも、愛する人や家族、友達のいない150年後を生きても、あんまり意味ないかもな。。

普通の顔面と醜い顔面や、ソフィア⇆ヌリアの入れ替わり等、見せ方が凝っていたので、スペイン産もなかなかやるなぁと思いつつ、怖がらせ音楽が全部お化け屋敷の効果音みたいだったのはちょっと気になった。
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