神田

ジュラシック・ワールド 炎の王国の神田のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます


観てきて、すぐに感想が書けなかった。


とにかく重い、深い、面白い。最早あのお馴染みのテーマが似合わないくらいに、「恐竜へのロマン」がエゴとして可視化された一作だ。SWといいDark knightといい、3部作の中間は重く沈むものだが、まさかそれをJPシリーズでやるとは思わなかった。

かつて「恐竜へのロマン」は、一種の夢だった。それこそJPの第一作目は、恐竜の復活を夢として描いている。エンタメとしての恐竜の楽園のために、生命を操作し蘇らせることのエゴを唱えてはいたが、それは至極鮮やかなものに留まっており、「生命とは」「権利とは」「神とは」といった複雑な思考の過程は描かれていなかったように思う。当時の時代性に鑑みれば、もちろん第一作目は最先端のそれではあったが、現代はそうはいかない。

リブート版の二作目となった本作。希望と懐かしさに溢れた前作とは異なり、そのテーマは「生命」「権利」だ。主人公のオーウェンとクレアは、恐竜たちを密輸しオークションで売りさばく御曹司に立ち向かう。生きる場所を奪われ、弱り、売買のダシにされる恐竜たちは、まるで奴隷だ。前作からファンの心を掴んだ「ブルー」やお馴染みの「T-REX」が、残酷なまでに人間に翻弄される様は、私たちへ実に本質的な問いを投げかける。
人間のエゴで復活させた恐竜、そんな彼らを皆殺しにすれば、罪滅ぼしになるのか? 「保護する」という大義名分の下に、彼らを管理・支配し続けるのか? はたして生命とは、生きるとは何か?

特筆すべきは、そんな恐竜と人間との間を繋ぐキャラクターがいたことだ。クローンのメイジーである。「恐竜/人間」「科学/倫理」「仕事/家族」……これまで分かりやすく描かれていた善悪の二項対立、今作はその間に「中間(グレーゾーン)」の存在を設けた。
事実として、現代は白黒ハッキリさせることのできない時代とされている。今や近代までの単純な二項対立では、解決できない問題が増えてきた。ライフスタイルやルーツ、性的指向や性自認、自閉症スペクトラム…etc。情報化そして多様化の時代に、物事を明確に二分化しようとするのは最早タブーであり、それは新たな分断や諍いを生むというのが現代の感覚である。
今回のメイジーはまさにその「中間子」だ。祖父の願い(エゴ)によってデザインされた架空の孫娘、クローン。オーウェンと初めて出会った時、オーウェンが彼女をなだめる様は、まるでブルーを調教しようとした態度に皮肉なほど似ている。彼女は人間の姿を持ちつつも、同じようにエゴによってデザインされた恐竜たちと類似するのだ。彼女は、私たちの思考を「恐竜」に対するそれから「人間」に対するそれへと、繋ぐ役割を果たしているといえる。恐竜の「生命」について想像がしづらくとも、彼女を通せば、私たちは「生命」について考えやすくなる。なんと巧妙なキャラクター造形だろうか。


キャラクターといえばもうひとり、マルコム博士も忘れてはならない。彼の言葉は強く重く響いた。劇場を出るとき、彼の言葉が頭を占拠して離れなかった。

“Welcome to Jurassic Would”

3部作の最後が楽しみである。にしてもクリプラめっちゃイケメンだったな。
神田

神田