カメラは「川のように」流れ続ける現実を固定し、虚構として封じ込める力を持っている。この映画はその作用を存分に生かしている。日常に大量のフレームが配置され、登場人物はその中を右往左往する。
震災を経て現実が壊れ、虚実が混在する寝ても覚めてもな日本で、時になあなあな心地よさに酔いながらも、現実を探して生きようとする。濱口竜介の商業デビュー作。傑作。
・あらすじはシンプル。麦（東出昌大）と恋に落ちる朝子（唐田えりか）だが、程なくして麦は失踪する。数年後、麦と瓜二つの亮平と出逢った朝子は、麦の存在を隠して交際を始める。だが結婚間際になって、麦が姿を現す。
写真が好きな朝子は麦という幻想を捨てられないまま、亮平にも惹かれていく。前半の集団会話劇は、引きで固定された虚構。クローズアップも切り返しもない舞台劇に過ぎない。開始から1時間ほど、朝子の本心は全く掴めない。戦慄したのがある場面での朝子の主観ショット。外から見る分には落ち着いた様子だったのに、「これが彼女視点なのか…」と言葉を失った。
写真のような平べったい画面で、朝子と亮平は関係を深める。彼らは画面の前後が使えない不自由なアクションを続けている。朝子は車を持たず、自分で世界を切り開けない。
・麦の登場が硬直した画面を揺さぶる。夕食への乱入直前、背景に真っ黒な影となった麦が立っている。白い服を着て、黒い車で幻想へ誘う麦は、死者にしか見えない。
麦が朝子の家を訪ね、黒い玄関のドアを開ける場面も、非日常が日常を侵食する瞬間を捉えたカットだ。深田晃司の「淵に立つ」で浅野忠信が現れるシーンを連想した。
現実を突き破る女3人のトークや、麦が夕食に乱入した時の麦と朝子と亮平の間では、切り返しが入る。バドミントンやボールの往復も描かれ、クライマックスの投げる動作に繋がっていく。
・朝子は麦との逃避行に走る。そこでは、かつて見た海（幻想）を、現実の防波堤が遮っている。朝子は防波堤に向かって画面奥へ進み、幻想に別れを告げる。この時、背景には立ち尽くす影＝麦との対比として、震災後も折れずに立っている現実の木が配置される。
・彼女は防波堤を画面右へ自分の足で歩き出し、そのままフレームを突き破る。現実への第一歩だ。光と影が入り混じる帰りの夜行バスも最高。
仙台で見せた前後のアクションが、震災同様に破壊された、亮平との現実を修復していく。画面内を自由に動ける飼い猫がキーに。奥へ奥へ逃げる亮平を追う朝子を捉えたロングショットも美しい。
他人を介した白いシーツが、朝子と麦を繋いだ。対する亮平は白いタオルを画面奥に直接投げ、朝子がキャッチする。このアクションで話としては十分にオチている。「こわれゆく女」のエンドロールを思い出す。
・ラストシーン。アパートの窓枠に収まった2人は本心をぶつける事で枠から出る。（麦＝震災に）破壊された現実を噛みしめながら、並んで目前のカメラと対峙する。見上げる/見下ろす動作を繰り返していた2人は対等な関係となる。「汚い」「きれい」と評価は全く噛み合わないが、2人の前には川が流れ続ける。全てが崩れ去った後、共に生きようとする、仮設住宅の人々の姿が重なる。
・震災によって舞台公演は中止になり、虚構と現実は曖昧に溶け合う。舞台道具のシャンデリアと同じように、朝子の家の皿が割れる。
私たちは言動や出身地や職業＝現実の情報と、そこから膨らませた「こういう人だろう」という想像＝虚構をミックスして他者のイメージをつくり、人間関係を築いている。仮に虚構が震災のような現実にへし折られても、人は人との関係を守ろうとする。
「このカレー、味が染みたな」
「それラタトゥイユやけどな」
「美味いで」
「よかった」
亮平は虚実の混ざった食べ物を気に入る。朝子は現実を突きつける。それでも亮平は料理を肯定し、朝子はこのやりとりを優しく受け止める。
・震災後の帰宅難民＝流れ続ける川。お茶や酒、雨が人を繋げる。朝子の告白を聞く亮平は、流れっぱなしの水道を止める。
・前後左右に踊り、麦と朝子を上から見守っていた岡崎は、ALSで動けなくなる。
・名前＝固有性の獲得の物語。最初は「コーヒー屋の店員」だった朝子は、名前を持った現実の人間として対峙できるようになる。91点。
