ジミーT

男はつらいよ お帰り 寅さんのジミーTのレビュー・感想・評価

5.0
本作は寅さん回顧の物語として、山田洋次監督の模範解答であると思います。その意味では、最上の作品と言ってよいでしょう。

しかし(特別編を除き)、1969年の第1作から1996年の第48作まで27年にも及ぶシリーズである以上、それぞれの観客、或いは製作スタッフがこのシリーズへかける想いは千差万別のはずです。
例えばファンや製作スタッフに全48話分のフィルムを与え、「これを編集・コラージュして、あなたなりの『男はつらいよ お帰り 寅さん』を作りなさい。必要あれば撮り足しも可。」という問題を出したら、それこそ十人十色の作品ができると思います。どれが正解ということはないでしょう。この「模範解答」も十人十色のひとつなんです。

私の場合はどうなんだろう。

私はシリーズ48作を1つの作品として見た場合、「アンチヒーローが27年という歳月をかけて大ヒーローになる大河ドラマ」であると思っています。

1969年の第1作で登場した車寅次郎は本当に手のつけられない人間でした。いい年して自分勝手で甘ったれで、自己中心の暴れん坊の悪太郎。悪い意味で腕白小僧がそのまま大人になったような、そのくせどこか年寄りくさい。こんな人間が家にいたらもう生き地獄だろうな、こんな人間にだけにはなりたくない、まさにアンチヒーローとして登場してきました。
未見ですが、テレビシリーズでは最後に寅次郎を死なせたというのも充分理解できます。

映画も1作2作なら異色のアンチヒーロー物語として終わったかもしれない。しかし寅次郎は死ぬことはできず、シリーズとして続いてゆくことになってしまいます。ここで彼の道は大きく分かれます。長い長い道を生きて行かねばならなくなる。
その結果どうなったのか。寅次郎は26年かけてお馴染みの登場人物やマドンナたちに揉まれ、人生経験・失恋体験を積み、齢を重ねた果てに、恋愛指南・人生老師の大ヒーローに成長してしまったんです。こんな人間になりたいと思わせるようなヒーローです。特に最後の何話かは渥美清の闘病もあったのか、寅次郎の登場シーンは少なくなる。そのぶん必要なときにフッと現れては消えてゆくという、神か天使のような存在にまでなってゆきます。
もちろん、齢を重ねて人生の場数を踏めば誰もがヒーローになれるというわけではありません。しかし寅次郎にはその経験を血肉にして精神にまで高めるという才能があったのでしょう。だからこその偉大なヒーローなのだと思います。
「思い起こせば恥ずかしきことの数々、今はただひたすら反省の日々を過ごしています。」という彼自身の言葉には一点の嘘も偽りもなかったのです。

もし私が「男はつらいよ お帰り 寅さん」を作るとしたら…。
48作のフィルムを分解、コラージュして「アンチヒーローが歳月をかけて大ヒーローになってゆく物語」を作ろうとするでしょう。
そして酷評され、ひたすら反省の日々を過ごすことを余儀なくされるのかもしれません。

追伸1
私は寅さんシリーズの良い観客ではありませんでした。若い頃は寅さんシリーズにはどこか抵抗がありました。ダサいというか…。テレビで放映されたのを時々チラチラ見るくらい。劇場で観たのは「寅次郎春の夢」の一作だけ。それも脚本がレナード・シュレイダーで、ハーブ・エデルマンが出るという理由で観に行きました。
しかし今になって、やはりあれだけのシリーズなのだから一度は観ておかねばならんと思い立ち、hulu で全50作一気鑑賞いたしました。
もとより老専業主夫のクソ忙しい身ゆえ、まとまった時間をとることは叶わず、家の中でiPad持ち歩き、家事作業しながらの「ながら鑑賞」。やっと家族が寝静まったあとは睡魔と闘いつつ、寝落ちしたら記憶に残ってる最後の場面からもう一度。これを繰り返して1日平均5本。10日間で全50作完走致しました。自分をほめてあげたい。
しかしですよ。最初はお勉強の義務感で見始めたのですが、観てみたらこれがもう面白いのなんの!悪戦苦闘という感じもなく、あっという間に完走したというのが感想です(しゃれです)。

追伸2
娘が「十角館の殺人」を観るためにhuluのプリペイド・カードを買ってきて、残された日数で観まくったわけです。
ほかにも松田優作の「遊戯シリーズ」を一気再見。千葉真一の「殺人拳シリーズ」も一気再見。いやー、充実の日々でした。
あ、「十角館の殺人」は良くできてましたぞ。あのトリックをよくぞ映像化した!
ジミーT

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