Lemmy

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のLemmyのレビュー・感想・評価

3.5
(原作は未読)

重要なのは「あるべき場所」
それまでのTV版では、炭治郎が鬼を殺す(成仏させる)ときに、鬼は記憶の中の「あるべき場所」、つまり人間として幸せだった瞬間を思い浮かべる。それは人間らしさを抱いて死ぬことだ。それが成仏だということ。

しかし映画の眠りのなかではそれが反転する。ここがおもしろい。
炭治郎が「あるべき場所」(山小屋の家族)に戻るということは、不幸な死、鬼に負けることになる。

鬼はあるべき場所に戻ることが良くて
生きている人間はそうあってはならない
という対比。

取り戻せないことを受け入れることが「生きる」ことだというわけだ。

だから炭治郎たちにとっては煉獄が死ぬことは受け入れるなければならないし、煉獄はあるべき場所の記憶のなかで死ぬことになる。


そして、無意識の表象もよかった。
無意識(超自我)は、自分なかで自分の核となる「他者」である。

言葉は他者の言葉でしかない。
(言語学的にもそう)

だからみんな自分の意志のようでいて、メンターとなる誰かの言葉を拠り所にする。

夢の中で無意識は外側にあり、そこに核があるという描写もそれを示しているし、煉獄が死ぬときに母が出てくるのもそういうこと。
Lemmy

Lemmy