Kuuta

偶然と想像のKuutaのレビュー・感想・評価

偶然と想像(2021年製作の映画)
3.9
「モード家の一夜」のレビューで偶然について書いており、ロメールの事を考えていた。

村上春樹原作の大作を経て、よりセリフは鋭く、演出はクリアに、物語としてはポップで飲み込みやすい方向へ進化しつつある。本当は7つのネタがあったそうで、今後「喜劇と格言劇」のような作品群になっていくのでは。

言語先行がやや行き過ぎている印象は残った。3作全てで「画面下手→上手への逆行」というベクトルの整理は為されているものの、物理的な運動が画面を作り、展開を切り開く快感には乏しい。

・魔法(よりもっと不確か)
下手へのタクシー移動から引き返した古川琴音と、元恋人の言葉の応酬。彼女は元恋人が自分を抱きしめるかどうかという、不確かな偶然に身を委ねる。しかし偶然の来訪により中断され、自らの足で上手へ走り出す。

続くカフェのシーン。「モード家の一夜」でも書いたように、映画における偶然性とは、引きの画面に「映り込んでしまう」人や風景そのものであり、それこそが現実の投影である(今朝の新聞に載っていた監督インタビューで同じことを言っていて驚いた)。

それはヌーヴェルバーグの志向した映像でもあるが、偶然性から身を引き、主体性を取り戻さんとするこの場面の彼女に、カメラはズームする。彼女は自らの意思でガラス越しの上手に消える。そのまま被写体としての立場を抜け出し、工事の続く渋谷をカメラに収める。

・扉は開けたままで
朗読の声は肉体的で「なんかエロ」く、会話自体が体を交わす感覚に変化していく。このやりとりは、教授のロジカルな分析によって円満に終了するが、偶然によって頓挫する。結局はテキストの問題であり、校閲が大事。最後のキスはすごくロメール的だと感じた。1本目と真逆で、偶然を自分の手に取り戻そうとする話?

・もう一度
今作が一番往復が激しい。下手へ歩いて到着した同窓会で目当ての友人を見つけられなかった夏子(占部房子)は、上手に帰っていく。上手の仙台駅への道中、エスカレーターであや(河合青葉)とすれ違う。あやの家は下手にあり、2人で歩き始める。家から駅へ帰るときは当然上手への移動となるが、役割の入れ替わりを経た夏子は後ろ歩きをする。ラストでもう一度右と左が交わる。

ツーだのカーだのユーだのケーだの、良くも悪くも意味を失い、音と化した言葉がよく出てくる。虚しさを抱える彼女たちが演じ合った末、最後に取り戻した言葉とは。落語のようなオチが心地良い。78点。
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