トケグチアワユキ

映画:フィッシュマンズのトケグチアワユキのレビュー・感想・評価

映画:フィッシュマンズ(2021年製作の映画)
4.4


ゴッリゴリの Fishmans リアタイ世代。
うぜぇジジイなのを先に断っておく。

正直言うと、観る気なんかなかった。
新宿のジャズクラブで昼日中からライヴ聴こうと勇んで来てみたら中止だった。
で、どうしようか考えたあげくの選択。

結果として、観てよかった。
だいぶ心を解きほぐしてくれた。


私は圧倒的な佐藤伸治原理主義者。
映画の後半に触れられている「男達の別れ」tourも、というか、ポリドール以後のツアーはたぶんぜんぶ居合わせたはずだ。
あの「男達の別れ」@ 赤坂BLITZ の異様さを数々の証言が的確に伝えてくれて、この作品には絶対的な信頼をおいていいと確信した。
あの日、赤坂で、最初から最後まで私は涙を流し続けたし、私の記憶は20年を過ぎてもまるで薄れていないし、書き換えも行われていないと確認できた。

佐藤伸治が夭折し、茂木欣一が再びFishmansを始動させた時、私は赤坂のあの気持ちを踏みにじられた気がしたし、ノーテンキに騒ぐ遅れてきたファンに、侮蔑の感情しか持てなかった。
ゆるく楽しんでんじゃねーよ。その気持ちはこの映画を観終わった今もまだ完全に払拭できてはいない。

再結成や再始動なんて、遅れてきたヤツらか田舎の人のもの。音楽を本気で聴いてない、メディアに踊らされてるニワカのもの。
そんな私の気持ちを、この映画は黙って受け止めて、ふわっと微笑んで「うん、君の言っていることもわからないじゃない。でもねそれは佐藤伸治の音楽が望んでいたことかな?」と問う。
私は佐藤伸治のいないFishmansを聴いたことがないので、それが必要なことなのか、意味を持つのか、わからない。

劇場のシートに身を委ね、私は映画と、この対話を約3時間にわたってずっと繰り返した。
すごく真摯に私の思いと向き合ってくれた映画に、それはイコールこの映画をつくろうと考えた人々に感謝する。

私は今後もたぶん佐藤伸治のFishmansに溺れ、呼吸さえも覚束ないままだ。
でも、佐藤伸治がいないままあのヴァイブレイションが響きわたることを、微笑みと共に受け止めることだけならできそうな気がする。

追記
いろいろなレビューを読んだ。
新しい事実が語られていない、とか、曲がぜんぶフェイドアウトかBGM扱い、とか。
私がこの作品を評価するのは、自分の記憶との照合ができたからだ。
当時、佐藤伸治のFishmansと私でしかなかった関係性が、「佐藤伸治の」という枕詞が外れた途端、社会性を帯びてしまった。再始動でそれは更に遠くなった。
あの時、1対1で濃密だった記憶は果たして事実だったのか、客観性がない分それは実感を伴っているものの、私の勝手な思い込みとして上書きされていることもありうる。
この作品に登場する証言は私の記憶を裏打ちし、客観性を与えてくれた。
感謝しかない。

これから観ようと考えている方々に伝えたい。
このバンドは社会現象(ブーム)でもないし、普遍性を持ったヒットチャートバンドでもない。
音楽自体を聴かずに観ても、伝わるものはほとんどないと思う。
本編で何度も強調されていたが、ごく少数の人間が熱心に追いかけていた、本当の意味でオルタナティヴな存在だ。
ここで新たな出会いを願っても、上っ面で終わる。知ったかぶりにしかならない。
少なくともオリジナルリリース作品はすべてキッチリ聴いてから観ることを、強くお勧めする。

もうひとつ、末期、メンバーが次々と離れていく過程は、人間関係よりも音楽性そのものの振幅だったと私は捉えている。
いずれ佐藤伸治ひとりの世界に収斂していくのは見えていた。
それはここに登場しない人が語っても同じだったように思う。

追追記
Fishmansをリアルタイムで聴いていた時も今もFishmansに救われたことなどない。ひりひりとした日常に寄り添うセルフリストカットみたいな音楽だ。
リスカする人間はそれをひた隠しにする。でも、他にもそんな人間がいると知って、ちょっとだけ安心する。安心するだけで連帯もしないし、ましてや助け合ったりすることもない。
そこに「ある」ことが日常の「確認」だ。生きていたくないのに生きてしまっている少し痛い甘み。

追追追記
鈴木涼美の視点(このリンクいつまで有効かな。幻冬舎Plus 夜のオネエサン @ 文化系)
https://www.gentosha.jp/article/19141/


追追追追記 2022.02.25.
まもなく、Fishmans のツアーがある。
東京はリキッドルームで2days。
ヴォーカルは原田郁子で固定するようだ。
それを知った時、チケットを買おうか迷った。
迷った、とはつまり買わなかったということだ。
原田郁子で固定するなら、お祭り感もそんなにないかなと思った途端、会場でノリノリのオーディエンスがすごく楽しそうに踊り笑い合っているイメージが頭に浮かんだ。
で、チケットを申し込む指が動かなくなった。
私の気持ちにはいまだ蟠りが残っているし、このシコリはそう簡単にはなくならない。