TOSHI

STOPのTOSHIのレビュー・感想・評価

STOP(2017年製作の映画)
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韓国映画の異端児キム・ギドク監督が、日本の原発事故を題材にした作品と聞けば、観ない訳にはいかないだろう。
ギドク監督は、韓国語と日本語での会話(悲夢)やセリフなし(メビウス)等、コント寸前の大胆なウソの設定を導入する事が多いが、それによってある事象を、エキセントリックなドラマとして再構築するのが真骨頂だと言える。本作は、福島原発事故によって東京への移住を余儀なくされた夫婦の、子供を産むことへの恐怖心がテーマで、放射能と出産の関係というタブーに切り込んでいる(日本での配給が中々決まらなかった、要因でもあるだろう)。
シリアスな題材だが、本作にも多くのウソの設定がある。正気を失いつつある妻・ミキに接触し、国のためだと中絶を促す謎の役人。妻を安心させるために福島に残された動物を撮りに、すぐ近くであるかのように何度も東京と福島を往復する写真家の夫・サブ(妻を縛ったまま行ってしまう)。放射能汚染された地域の鶏肉を捌いて、東京の焼き鳥屋に密売している地元の青年・ナオ。
従来のギドク作品は韓国を描いているために、日本人観客にはワンクッションあり、アートとして観る事ができたが、本作は日本、それも原発事故を描いているために直接的で、エキセントリックさがより違和感を伴い、気持ち悪く、怖く感じる。最大の衝撃はサブが目撃する、立ち入り禁止区域に留まっていた女性の死産シーンだ。
ショックを受けたサブの説得にも関わらず、ミキは福島に戻り一人で出産する事を決意する。サブは東京で膨大な電力が必要とされている事が諸悪の根源という妄想に取り憑かれ、ナオと組んで、世界を電力から解放するため直接的な行動に出る。電力の供給源を切り倒そうとするのと、ミキの出産が交錯する場面がクライマックスだ。物語を死産では終わらせず、生まれてきたサブとミキの子供は、(普通ではないが)隠喩に満ちていた。

ギドク監督は原発事故で、今後人類が安全に暮らしていけるのか不安を感じ、状況を改善するため映画を撮るべきだと考えたが、日本の監督が諸事情で撮らないため、自分が個人で責任を取る自主制作の形で、単身日本で撮影を行ったという(手持ちカメラによる臨場感が生まれる一方、全体的に粗さも気になる結果に)。ギドク監督らしい、人間の本質に迫る執念が感じられる映画ではあった。
しかし、ギドク監督の大胆なウソを取り入れる手法は映画としては基本的に正しいが、実際の災害を題材にした作品には、適さないように感じた。問題になった、漫画「美味しんぼ」で福島原発取材に行った主人公が鼻血を流す描写は、作者は実際にそういう人がいると主張していたが、本作の奇形児はどうなのだろうか。そういう事例があるという事なのだろうか。警鐘を鳴らすための一つのウソではないか。後者なら、原発災害の当事者である日本人には、受け入れ難いのではないか。
放射能汚染は奇形児も産まれる恐ろしい物であり、いっそ大都市が停電になってしまえば、原発もなくて済むという訴えの物語で、原発を巡る状況(特に、実際に被災した人の状況)が変わるとは、とても言えないだろう。基本的にフィクション(ウソ)である映画が、現実の社会問題をどう捉えるべきか、改めて考えさせられた事が、本作の意義かも知れない。
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