TOSHI

読まれなかった小説のTOSHIのレビュー・感想・評価

読まれなかった小説(2018年製作の映画)
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遂に来た。個人的には、今年のベストワンだ。スマホで、めまぐるしくエンタメの良い所取りをするのが当たり前の現代で(SNSによる他人とのコミュニケーションも、エンタメだ)、約2時間も最初から最後まで観る事を強要する映画は、異質のエンターテインメントになっているが、トイレ休憩もない3時間強となると、人間の生理さえ省みない事になり、異質性は極限に達する。しかし興行的にも効率が悪いであろう3時間の上映時間が許されるのが、力量を認められた監督、優れた映画の証明であり、その極度の異質な体験こそが、映画の醍醐味なのだ。

優れた映画は、ファーストショットが良い物と決まっているが、港の海が反映するガラス張りのカフェで佇む男を捉えたショットが良い。舞台はトルコのトロイ遺跡近くの片田舎である、チャンだ。大学を卒業し、故郷に戻ったシナン(アイデゥン・ドゥ・デミルコム)は、処女小説を出版しようとしていたが、上手くいかない。定年が近い教師である父・イドリス(ムラト・ジェムジル)は、競馬好きで借金があるらしい。そして水脈の存在を確信してしまい、井戸を掘っている。イドリスの、情けない笑い方が印象的だ。母・アスマン(ベンヌ・ユルドゥルミラー)に大事なのは、夫の退職金だけのようだ。シナンの父に対する対立感情が、物語の軸となる。

目先が変わり、シナンが幼馴染であるハティジェ(ハザール・エルグチュル)から、呼び止められる。シナンはかつて思いを寄せていたが、彼女は結婚する事を告げる。しかし実は彼女もシナンに好意を持っており、突然にキスをするシーンが美しい。
コートに入れていた出版費用の金が盗まれたりしながらも、シナンは遂に本を出版するが…。

とにかく、映像の力が圧倒的だ。
広大な自然の中の寒村という退屈な筈の場所が、完璧な構図と高精細な画像で切り取られ、めくるめく映像体験として迫って来る。貧しい暮らしが、豊かで美しい物に見えてくる、繰り返し流される、バッハのフーガが、重みを与える。
一方で、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品に特徴的なのは、会話劇である事だ。トルコの大自然をロケーションとしながら、矮小な考えに囚われた人間による、口喧嘩が延々と展開される。この大自然と器の小さい人間の対立構造により、人間の愚かさを際立たせると同時に、愚かな人間の営みを撮った映画に、品格がもたらされているのだ。そしてトルコのローカルな人間ドラマが、世界中の人に訴える映画として昇華されている。厳しい現実に押しつぶされそうだったシナンを、彼がずっと拒んでいた物が救うラストが感動的だ。

私が重視する、コンセプトでぶっちぎる映画ではない。今を描いている訳でもないし、現実から飛躍する訳でもない。しかし、テレビともインターネットとも違う、これが映画だとしか言いようが無い、映像の力に溢れた至高の作品だ。3時間の映画を観るといつも、膀胱が破裂しそうになってしまう私が、殆ど尿意を感じなかったのも、本作によるマジックかも知れない。またこんな極上の体験をしたくて、一生、3時間の異質な体験を繰り返す事になるのだろう。
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