TOSHI

ある女優の不在のTOSHIのレビュー・感想・評価

ある女優の不在(2018年製作の映画)
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フィルマークスのプロフィールによくある、「何でも観ます」というフレーズを見ると、「それなら当然、イラン映画も観るんですよね?」と訊きたくなる。イラン映画を観ないで、それ以外の映画を何でも観ても、映画ファンは名乗れない。
日本で公開されるイラン映画は少ないだけに、公開されるのは優れた作品だ。また、素晴らしい作品の登場である。
私は1990年代の、アッバス・キアロスタミ監督作品で、映画観を変えられた。それまでは、都会的に洗練されているのが、映画だと思っていたが、荒涼とした山岳地帯でプリミティブな生活を送る人達を、素のままで撮り、映画的興奮を生み出している事に衝撃を受けた。キアロスタミ監督の下で映画作りを学んだジャファル・パナヒ監督による本作は、そんなイラン映画のエッセンスを継いだ作品だ。

冒頭、イラン映画がスマホの動画で始まる事に違和感と同時に、興奮を覚える。洞窟の中らしき場所で、家庭の事情で女優になる夢が叶えられないという告白をしている少女。彼女は、有名女優の名前を出し、すがるように話しかける。そして少女は、ロープに首をかけ…。
衝撃的な動画は、友人らしき人物から、ジャファル・パナヒ監督(本人)を通じて、人気女優ベーナーズ・ジャファリ(本人)に届けられる。本当に命を断ったのかが分からないまま、ジャファリは撮影をほっぽらかしてパナヒ監督の車に飛び乗り、マルズィエ(マルズィエ・レザイ)という少女が住む、イラン北西部の村を目指す。
赤く染めた髪に、憔悴しきった表情のジャファリが強い印象を残す。アップで捉えられた彼女の表情だけで、歴然と映画である事が分かる。
村に着いても人々は喪に服している感じは無く、のどかな様子で、撮影場所と思われる洞窟を探索するが、遺体もロープも見当たらない。しかし、マルズィエの名を出すと、最初は二人を歓迎していた村人達の態度が豹変し…。そして二人は、イラン革命後に演じる事を禁じられた、往年のスター女優・シャールザードにまつわる、悲劇的な事実に突き当たる…。
パナヒ監督自身が、社会の不条理を描いた事で、当局から2回逮捕された過去を持つように、イラン映画における、当局からの抑圧が色濃く反映されている。抑圧を受ける過去・現在・未来の3人の女優という構想は、その現れだろう。3人の人生が折り重なり、それでも人生は続く事を暗示するラストが余韻を残す。

崖沿いの道を車がノロノロと走る描写だけで、映画を感じさせるのは、キアロスタミ監督作品とも共通するが、もっと大きな部分で、“悲しい人生”を送る人達を、ドキュメンタリー調で追っていく中で、微かな希望を感じさせる、映画的な奇跡の瞬間を生み出す演出力に、共通性がある。キアロスタミ監督亡き今、その手法を血肉化した上で、より現代的に発展させた作り手がいる事は、映画ファンにとっての希望だろう。
国やジャンルで括って映画を語るべきではないが、公開規模は小さく、日本ではマイナーでも、本物の映画が揃うイラン映画を観なければ、映画ファンではないのだ。
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